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《御教歌》
わするなよ まかぬたねなら はえもせず  まいたたねなら はえるものぞと


 この御教歌は、佛立宗のみ教えのその根本には、因果という原因と結果の法則があります。世間ではよく「まかぬ種は生えぬ」といいますが、種を蒔かなければはえることもない。世間にはたくさん不幸な事件があります。そういう苦しみの中に喘いでいる人に、本当に罪障消滅ができて、業を乗り越えることができる御題目の種蒔きをさせていただくことが大切でありますとお示しの御教歌です。

 なぜ人間が苦しむのか、どうすれば本当に幸せになれるのか、それを教えてくださったのが御仏でございます。線香臭い話しをしているのではございません。本門佛立宗というのは、どうしたら本当に苦しみからのがれ、幸せになれるのかということを説くご信心です。仏さまは、私たちに「苦しむ原因」を教えてくださいました。それは「三世」という因果の道理を説いてくださった。それは、人間は今だけ生きているのではなく、前世、永遠の昔から何回も生まれ変わりを繰り返して今がある、その何回もある中で、私たちは行いをしてきている。今もこうして行いをしている。その中に、善と悪があるというのです。その善と悪が、私たちの魂の奥に八識という所があり、そこに良いことも悪いことも全部記憶されていて、それで終わりではなく、それが次の自分の生まれ変わったときにも、前世でやったことの報いが出て来るというのです。良いものは良いように、悪いものは悪いように。「私、良いことがなくて苦しいんです」という人に、「あなたの苦しみの原因は、あなたが過去で種まきをした悪い種によるんです」と仏様はおっしゃいました。仏様は、その苦しみの原因を説かれて、その苦しみを乗り越えることができる。苦しみのもとである三世の罪障、心の中にある「悪業罪障」を乗り越える消滅できる力をくださったのがこの上行所伝の御題目のご信心。ですから、自分が本当に信じて自分の心の中に御題目を唱え込んでいきなさい、そうしたら、今の苦しみは解決される。罪障の解決をしてくださるのが、この御法さまの御題目。そこを教えてくださいました。

 今日ここでお話ししてくださる森田さん親子のお話は、こういった御仏のお話を現実に証明してくださっているお話です。森田麻子さんは現在32歳、そのお子さんの優奈ちゃんは小学校3年生。どういう体験、どういう罪障を消滅されたかということをお聞きください。


森田麻子さんより

 ありがとうございます。唱題寺所属の森田麻子と申します。私は平成13年に入信し、現在入信2年目になります。私は21歳の時、愛する人の死をきっかけに、精神的な病気になり、家庭内別居、引きこもり、うつ病による過食症、拒食症の繰り返しと、急性アルコール中毒など、それからの私は何事にも無気力で無関心。何のために生きているのかも分からないような人生だったと思います。いつも死ぬことばかりを考えていました。そして、人間不信でもあった私は、心を開いて話せる友達すらいなかった、というより、作ろうとしていなかったと言った方が正しいかも知れません。

 平成13年、次女の幼稚園入園をきっかけに、竹村久美子さん(堅裕師の奥様)と出会い、いつも心を閉ざしていた私が、なぜか自ら自分が精神病であるということを打ち明け、こんな自分を受け入れてもらいたい、という気持ちが起こり始めたのです。その後、久美子さんから「私の主人はすぐ隣の唱題寺のお坊さんをしているの。もし良かったら一度会って話しをしてみて。きっと病気が治るから」と何度も誘われ、私は半信半疑でしたが、ずっと自分が背負ってきたもの、心の中に閉ざしていたもの、この心の扉を開くことができるなら、と思いお講師に会ってみることにしました。そして、私の両親も、この地獄のような生活から脱出できるならと、ワラをもつかむ思いで入信をしました。入信してすぐに、両親は朝参詣を始めました。私はそれでも、心のどこかで「10年以上も病院に通っていて治らなかった病気が、今さら治るわけがない」と御法さまを信じきれませんでした。あげくの果てには、勧められて初めてお参りしたお総講で、大勢の人がみんなで膝を叩き、声を合わせて「南無妙法蓮華経」と御題目を唱えている光景を目にして、「この人たちはみんな狂っている」とさえ思ってしまったのです。そう思いながらも、幼稚園の送り迎えの時には、教化親の久美子さんとお寺にお参りをして一緒に御題目を唱えていました。度々自宅へお助行にも来てくれました。百本祈願のときも一生懸命応援をしてくれました。しかし、その行為を裏切るような心が私に涌いてきてしまいました。百本祈願では、御法さまのお力で心にずっと引きずっていた過去のものを洗い流していただくことができたのに、幼稚園の他のお友達に、「何でお寺なんか行っているの? 神様とかって信じないわけじゃないけど、結局自分の考えが一番大事なんじゃないの?」と言われ、その言葉に心は大きく揺れてしまい、お寺にお参りすることも、御題目を唱えることも、めんどくさい、いやだと、それから徐々に久美子さんのことも避けるようになってしまったのです。そのあげくに、自分の力だけで生きていこうとした私は、精神病院の入退院を繰り返し、度重なる自殺行為の果てには、バファリンを320錠も服用するという、家族も含め、壮絶な日々となりました。

 堕ちるところまで堕ちて、やっと私は「御法さまのお力が必要です。どうか私を助けてください」とお縋りする気持ちが涌いてきたのです。そしてそれからは、今までと全然違う気持ちで、必死に御題目を唱えられるようになりました。それまでは、「精神病になったことのないお講師に、私の気持ちが分かるわけない」と心のどこかで思っていたのですが、御題目を通じてお講師の必死な誠意を感じたのと同時に、「そうだ、御法さまを信じるように、お講師のことを信じて、お講師がおっしゃることなら頑張ってやってみよう」と思い、気持ちを改めて生活を立て直していきました。人が当たり前に送っている生活リズムが私にとっては戦いでした。しかし、みんなの御題目の応援に助けられ、励まされて御法さまに必死にお縋りし、御題目を唱え続けることができたのです。私は10年以上苦しんだ「うつ病」という心の病から這い上がることができたのです。

 夢のようでした。生まれ変わった世界、御法さまが私にくださった世界は、暗闇からパッと輝いた扉が開き、雲ひとつない青空一面に南無妙法蓮華経と描かれているような、そんなすばらしいものに感じられるくらい、自分でも信じられないほど、私の心は生まれ変わることができました。御法さまをお敬いする気持ちが深まるとともに、お講師に対しても、それまでは学校の先生のような感覚でしたが、今では仏さまにお仕えする方なのだと、尊敬とお敬いの気持ちに変わりました。御講師方のお言葉を日々ありがたく頂戴し、できる限り精一杯ご奉公させていただきたいと思っております。

 病気も治り、仕事を探す際に、「福祉などの人のお役に立てる仕事に就きなさい」というお講師の勧めから、色々当たってはみたものの、学歴も資格もない私を必要としてくれる職場もなく、ラーメン屋で働くことになりました。しかし、人のお役に立ちたい、という思いを胸に御題目を唱えていると、「そうだ、私には学歴や資格より、もっと大切なもの、それは御法さま、御法さまがいらっしゃる。助けていただいた私が、今度は御法のお力を通じて、人助けができるんじゃないかな?」という気持ちでいっぱいになり、ちょうどその頃、知人から経済的なことや、商売のことで相談を受けていたので、私はお教化させていただこうと何度となく「一緒にお寺参りをしましょう」とお誘いしましたが、「うちの父ちゃんはお神輿を担ぐ祭り男だから」と首を縦には振ってもらえず、あっさりと断られたり、また、家族がリュウマチやガンを患っているという職場の男性にも、「絶対に良くなるから」と、お供水さんをお勧めしたのですが、私が恋愛感情でしていると受け止められてしまい、「二人で食事でもしよう」と、度々誘われるようになってしまいました。私は色々と悩み、お教化に対して迷いが生じ、中途半端になって、挫折してしまいそうになりました。お講師に相談したところ、「これ以上お寺のことを言うと、人間関係が壊れてしまうのでは、という迷いを捨て、御宝前のお力を頂き、真心で人助けをご祈願し続けることが大切」ということに気付かせていただきました。私は本当に困っている人、御法さまを必要としている人をお教化させていただこうと思い直し、直後に始まった今年の夏期参詣では、そのことだけを心に毎日必死に御題目を唱えました。すると、現証が現れたのです。ある朝、従業員の佐伯さんという方と一緒に仕事に入ると、突然、「麻子さん、お寺に通っているんだって? どうして? お寺ってどういう所なの?」と私からお寺の話を持ちかけるどころか、向こうからお寺のことをどんどん聞いてきたので、私も自分が頂いたご利益の話をしました。すると、佐伯さんは、長年悩み続けていた、対人恐怖症で病院にも怖くて行けずに辛い思いをしてきたことを話してくださり、「もうこんな生活を続けるのはいやなんだ、やっと俺の気持ちを分かってくれる人に出会えたよ。麻子さんがこのラーメン屋に来て、出会えたことに運命を感じる。麻子さんのしているご信心なら俺もやりたい」とまで言ってくれました。私が探していた「御法さまのお力を必要とする人」が、相手からお寺に連れて行ってほしい、お講師に会いたいと、話を持ちかけてきたのです。すぐにお講師に会っていただきました。私は、宗教に偏見を持っていた佐伯さんの奥さんのことが気がかりでしたが、奥さんのリエさんも会ってみるとすごく良い方で、理解をしていただくことができました。私はこのご夫婦に、御法のお力で絶対に幸せになってもらいたい、なってもらうんだ、と強く決心しました。するとどうでしょう。佐伯さん夫婦と私の気持ちが御法さまに届いたのか、佐伯さんは、御本尊をおまつりした「その日」に現証が現れ、今まで奥さんにさえ普通の状態で接することができずに誤魔化していた自分と、その日を境に「おさらば」することができ、本当の自分で人と接することができるようになるという、お金では買えない、すばらしい御利益を頂くことができたのです。佐伯さんは、御題目とお供水さんで精神を保たせていただくことができ、表情まで穏やかに変わってきました。

 佐伯さんが救われたことで、私もまた救われました。私が苦しんだ10年以上の地獄のような日々は、私の人生の中で無駄な時間ではなかのだと思わせてくれました。私が心の病で苦しんだだけ、心の病で苦しんでいる人の気持ちを分かってあげることができ、「自分が自分でなくなってしまうこと」の辛さを理解してあげられるのだと。自分が幸せになれたことで、今まで自分のことだけで精一杯だった私が、今では、人の幸せを願い、助けてあげることのできる喜びを感じることができたのです。教化をして人を救うということは簡単なことではありません。精神的にも体力的にも辛いことがたくさんありました。それを御法さまのお力を頂いて、「乗り越えてこそ」の喜びと言えるのでしょう。

 自分さえよければと言う今の世の中で、この本門佛立宗のご信心は、全ての人に必要なご信心だと思います。私のように、不幸に定まった運命を変える力のある御題目です。私は様々な体験の中で、どんな願いも、そしてお教化も、全ては御法さまの経力を信じ、ひたすらお縋りして御題目を唱え続けると叶えていただけるんだという、そんなすばらしい喜びの種を、一人でも多くの方にまき続けていきたいと願っております。


 続きまして、娘さんの優奈ちゃん。この子は今小学校3年生ですが、当時は1年生でした。ではお願いします。


「御法さまと私」   小学校3年 森田優那

 私は唱題寺にお参りに行くようになり、御法さまからたくさんの御利益をもらいました。学校で1年生のとき、いつもいじめられていました。学校の帰り、そこら辺の葉っぱを食べさせられたり、仲間に入れてくれなかったり、おどかされたり、悲しい日々を過ごしていました。けれど、御法さまに一生懸命お願いして、いじめた子やその友達がお寺に来るようになりました。そして、耳と鼻の病気もよくなり、「きたない」といじめられることもなくなりました。

 毎日、朝学校へ行く前に、「今日一日良いことがありますように」と、お願いをします。帰りには友達と一緒にお参りをして、「お母さんの病気が治りますように」と、もう一つは、「家族みんなが元気でいられますように」と、お願いしていました。友達と一緒にお参りすると、お願い事が叶います。私のお母さんは心の病気で毎日薬を飲んで寝ていました。お母さんと一緒にご飯も食べれなかったし、一緒に寝れなかったし、一緒に出かけることもできませんでした。私が学校から家に帰っても寝ていて、毎日がとても楽しくなんかありませんでした。お母さんはいつも泣いていて、病気がひどくなるたんびに、遠くの病院へ行っていました。私はとてもお母さんが心配でした。友達に「お寺ってバカだね」と言われても、お寺に一人でも行っていました。でも、お寺にお母さんも行きはじめてから、お母さんの病気も少しずつよくなっていきました。今では、ラーメン屋でとても元気に働いていて、一緒にご飯も食べれるようになり、寝ることもできるようになりました。そして、一緒に出かけられるようにもなりました。私はお母さんが元気になって、毎日がとても楽しいです。

 私にはお父さんがいません。でも、家に御法さまがいるので寂しくなんかありません。私のランドセルにも御法さまがついていてくれるので安心です。御法さまはいつでもお願いを聞いてくれます。御法さまがお願いを聞いてくれると私は嬉しくなります。今は、叩きたかった太鼓も教わることができ、朝参詣で叩いています。私は唱題寺に出会えて、本当によかったです。御法さまがいるから、みんなが幸せに生きていけると思います。だからこれからももっともっとお寺に一緒に来る友達を作りたいです。そして、私の中のご信心を、皆さんにお話ししようと思いましたが、ちょっとまだ難しくて、言葉ではよく言い表せません。

 次に、私の妹のマキのことをお話しします。妹のマキは御法さまのことをお父さんだと思っています。そして、御法さまと御導師のことが大好きです。マキの考えだと、御導師は動く御法さまだから、御導師をマキのお父さんなんだと言っています。そして、「御法さまが体の中に入ってくれますように」と、下げたお仏飯をいつも一粒残さず食べています。朝のお給仕は妹がやっています。そして、お天目も、「御法さまが体の中からいなくなりませんように」と、毎朝幼稚園に行く前に必ず飲んで出かけていきます。

 お母さんの病気が治っても、私はこれから、毎日、朝お寺にお参をりして、今度は、元気になったお母さんが病気の人や困っている人に、御法さまのありがたさを伝えて、一人でも多くの人が幸せに生きていけるように、私も御題目を唱えていこうと思います。


 …ありがとうございました(涙)。よく知っているのにまたこみ上げてきてしまいました。
 ホントにね…(むせび泣いて一時中断)
 でも……助けてよかったって思ったんです。
 本当に……
 …不幸のどん底にいましたからね…。

 優奈ちゃん、妹のマキちゃんは、親の麻子さんを教化したんですけど、何も教えてないのに、一人でお寺に行って御宝前を信じて御題目を唱えてご祈願をして自分で感得して、イジメというのも、鼻が蓄膿がひどいので、くしゃみをすると鼻水が飛び出ちゃう。また耳ダレが出てて、それが基本的な原因でいじめにあっていたんです。でも、そういった自分の苦しみを、親も寝たきりじゃないですか。で、おじいちゃんおばあちゃんは見ててくれるんですけど、自分でご祈願をして、親は頼れないじゃないですか。でも御法さまを頼って、自分で乗り越えて、お寺にいじめてた子を連れてきて。本当に強くなりましたね。はじめお助行に行ったときはは学校に行きたくないって泣いてましたから。でも、優奈ちゃんのすごいのは、自分が鼻と耳の病気で病院に行っているんですけど、そんな状況でもお母さんのことを一生懸命祈ってる。それがすごいと思いましたね。子供が親のことを祈り、親は親で自分のことで精一杯の自殺未遂をしてしまうような毎日なんですけど、子供のことを一番に考えている。これは最高のベストの親子の姿だと思うんです。妹のマキちゃんも、御法さまの力というのを、自分がお母さんとメシ食えない、一緒に寝れない、今年長なんですけど、辛いじゃないですか、みんなのお母さんは普通にしているのに。それで、いつも幼稚園で描く絵が、お母さんとマキ、って二人しかいない。他の子は夏休みの思い出とか描くじゃないですか。だけどいつ見ても何回見ても二人しかいない。だからお母さん恋しいんだなと。こういうこの子たちの、本当にけなげな思いに、確かに麻子さんは言っては失礼ですけど罪障の固まりだったと思います。僕らも何もしなかったわけじゃないんですよ。教化してから一年半。何度も行って、今階段を上がると、何度この階段を上がったことか、何度このうちの謗法を払ったことか。まだ出てくるのかこの謗法と。いっぱい出てくるんですよ。もうホントに、手放したいな、もう諦めちゃおうかなと、これはお懺悔ですけど、思ったことあります。だけどね、この子たち見てたら、絶対、俺これ、いけないよこれじゃ、俺が中途半端なんだと、俺やんなきゃいかんと、本当に思わせてくれたんです。それで、五時間の、もう絶対どんなことがあっても、こっから動かない、助けるんだ。御法さまどうか助けてください、助けてやってください。ただただその思いでお助行し続けました。その次の日です。一番最後にバファリン320錠飲んだの。お医者さんは致死量ですと言いました。それぐらいの、心を決めてお助行を始めたその日に、何でそういうことするのかなって思うじゃないですか。でも、絶対負けない、この人の罪障と戦うんだと自分は決めましたので、そこから続けていって、この麻子さんのご両親もよくついて来てくれました。で、9月、10月、11月と、去年の今頃まだ苦しみの中だったんです。だけど、それを本当に不思議なくらいに御利益を頂いて、今こうやって、さっき優奈ちゃんが言っていたように、本当につまんなかったです、楽しくなんかなかったですと言っていたのが、一緒にこうやってお参りができて、働けて、一緒にご飯食べられて、お風呂入れて出かけて買い物行けて、幸せですと。本当によかったなって。だから、僕がそのとき思ったのは、「あ、こんな地獄のような苦しみの人でも、本当に助かるんだと。ホントに助けてくださる。罪障ってあるんだ。罪障が本当に解決される御法さまなんだなぁ」って、本当につくづく思ったし、その罪障の固まりである人が、地獄這いつくばっていたような人が、どうしてか、菩薩になっているんですよ。人助けしている。そうしてできたのがさっきの話で出てきた佐伯さんという方なんです。現在31歳ですが、佐伯さんも連れてこられて、対人恐怖症ということで、そのときに、私話したんです。「因果というのがあってね、自分の今の苦しみは、自分が蒔いてきた種なんだよ。だからこの御題目はね、あなたのその苦しみを本当に救ってくださる御題目だから、信じて御題目を心の中に唱え込みなさい」って言ったら、ボロボロボロボロ、その話をしてるだけなんですが、泣かれましてね、それで3日後に奉安に行ったんです。そしたら、その佐伯さんの奥さんは、「うちの亭主は何だか分からないけどまた変な新興宗教を?」って思うじゃないですか。でも、私は話したんですよ。一生懸命話さしてもらった。そうしたら、その奥さんもポロポロ泣かれまして、それで無事に御本尊を奉安することができたんです。で、さっきの体験談であったように、一座の奉安のお看経をいただいて、その日から、ピタッ! っと止まってですね、そりゃあ喜びましたよ。喜んだのなんのって。もう職場行ってもどこいっても機関銃のように「ありがたい!」って言いまくってましたから。今まで、実を言うと人に言えない薬を使ってたんですけれど、お医者さんには行けない、苦しい、どうしようもないんです。どうにもならない状態。それが、御本尊を奉安して、「南無妙法蓮華経、御法さま助けて」って言っただけで、パッと御利益頂いたから、こりゃあ、ありがたいということで、職場でも身内でも言いまくって、そしたら、小出君という27歳の方が、この人は19歳の時から糖尿病と心臓病で8回倒れて入院している、という人に、お供水を「これはありがたい水だから飲みなさい」って渡して、それが一ヶ月くらいたってから、本当に効くじゃないですか、お供水が。だからそれでまた小出君という方が連れてこられて、それで私はまた因果の話をして、その苦しみというのは罪障なんだよとこう教えてあげる。そのときに彼は言いました。「私ね、今までこんな身体でしょ。だから色んな人が私に来るんですよ、勧誘に。だけどうさんくさくて、信じられなくて」と。でも、この小出君はお供水を頂いたじゃないですか、そしたら本当に効いてくる。それを見てこれはと思って、お寺に来たんです。と言っていました。それでこの人もお教化になった。今ではこのみんなで朝参りして、ご祈願してやってらっしゃる。本当ね、私思うんです、地獄のような苦しみであったとしても、業だろうが何だろうが、この御法さまのお力といったら、これはありがたい話ですよね。お金じゃ買えないんですよ。お母さんをお金じゃ買えないでしょ? それをしてくれるのがこの御法さまの御経力の尊さなんです。私たちがご信心させていただくというのは、菩薩であって、成仏。その、何が菩薩になって成仏するかっていったら、心でしょ? 心が、御題目を唱えて、お折伏、御法門を聞いて、頂いてね、だんだん心が変わっていって、心が菩薩になっていったら、その人は本当の菩薩なんですよ。それを皆さんも目指してらっしゃる。だから朝夕に御題目を唱えて心を磨き、お寺お講に参って御法門聴聞して心をさらに磨き上げていくこと、これが大事で、そうなっていくと、さっき麻子さんが言ったように、「何かいいね、あんたちょっと違うんじゃない?」ということで、種蒔きができちゃう。そこを私たちはしっかりとこうした体験談から学ばせていただくことが大事です。

 それから、こういう麻子さんたちのご家族が救われていく姿を見て、やっぱりただ単に本門佛立宗のご信心をしたんじゃなかった。やっぱり最初にこの人たちに種を授けた人がいたんです。その種を授けるというのが大事なわけでしょ? 種を授けたから今こうして笑っていられるんですよ。もし種を授けていなかったら、今でも苦しみのどん底にいたんです。ですから、その種を授けさせていただく、お教化させていただくというのは、皆さん自身のご信心を高めていくっていうこと、そしてその人の信心がだんだん研ぎ澄まされていって、心が、だんだん菩薩に極まっていって、本当にそういう思いが上がってきたら、パッと、御宝前の御経力をいただいて種が蒔かれる。それが、今日の御教歌でお示しいただいているところの、種をまかなかったらいかんということでございます。

 開導聖人の御指南をいただきますと、
「蒔かぬ種ははえぬというに、その蒔きたる種によりてその形をあらわすこと必然なりと信ぜよ云々」

 とお示しいただいています。「蒔かぬ種ははえぬという」…種蒔かなかったら苦しんでいる人がいても救われないです。だけど、私たちが頂いているこの上行所伝の御題目は、苦しみ悩んでいる人の心に御題目の種を授けてあげなさい。その授ける人がホントに自分を磨き上げる、菩薩に自分がなる、そしたら、蒔かれる種も菩薩なんです。御題目の種、これを蒔く。これを授けたことによって、今、この子たちから広がって、お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃん、優奈ちゃんのお友達、それから唱題寺の薫化会も、みんなその影響を受けて、どんどんその輪が広がっていってらっしゃいます。

 今日お伝えしたいことは、繰り返しになりますが、この上行所伝の御題目様は、本当に仏様が仰せのように、人間にこびりついているところの、悪業、罪障、不幸のもとを解決してくれるという、御題目であるということ。地獄のような這いつくばっている人生でも、必ず地獄から這い上がって、しかも、人助けのできる、菩薩に変われるということ。それを、その種を渡してあげられるのは、私たちしかいないんです。創価学会でも立正構成会でもない。私たち真実の御題目の種を頂く、佛立信者だけなんです。だからこそ、皆さんが菩薩の種蒔きをしていただかないといけない。そこを一つ心得させていただいて、自分自身の信心を高めるということをしていただきたい。朝夕のお看経、お寺お講参詣、ご法門聴聞、助行折伏によって、自分自身の信心を磨き上げるということが大切。誰でもできますよ、特別なことじゃない。私だって、優奈ちゃんのことを諦めようとしてしまった。だけど、御宝前に背中を押されたですよ、「助けろ!」って。この子たちを見て。「助けろ!」と。

 どうぞ一つ、御題目の種まきを、おのれ自信の信心を磨いていただいて、お伝えさせていただくことが肝心でございます。

 すみません途中で取り乱しまして。

 故に御教歌に…
  「わするなよ まかぬたねなら はえもせず  まいたたねなら はえるものぞと」


(2003.11.9 妙深寺高祖会第二座にて)




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