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《御教歌》
み仏の お立てなされた 此講よ ドウデモダンナイ 利益現証


 「ドウデモダンナイ」とは関西の方言で「どうなったって大事ない、大丈夫だ」ということ。人生には様々な辛酸がつきものだけれども、縁あって本門佛立宗のご信者になって、ひたすらこの尊い御題目をお唱えすることができれば、何が起こっても心配ない、必ず現証の御利益をいただいて、良い方向に導いていただける、とお約束をくださった御教歌です。

 「南無妙法蓮華経」この御題目には、仏さまの全ての功徳、お力、智慧、お慈悲が込められています。世の中にはたくさんの呪文がありますが、史上最も尊い、力のある、尊敬される呪文が、この南無妙法蓮華経の御題目です。

 御題目を唱え重ねることで、みなさんの縁がいい方向へまわる。解決できないと思っていたことが解決され、心にも身体にも、家族にまで、妙不可思議なお計らいが現れる。

 難しい理屈は分からなくても、この呪文、御題目を唱えてみなさい。それが仏教・佛立、仏さまの究極の教えなんです。

 人間というものは、生きている中、いろんな「法則」を探すものです。「自分はこうだ」「あの人はああだ」「こういう時には、いつもこうなる」「僕の人生はこういうものか」。場当たり的な生き方をしている人でも、色々な法則を探すもの。

 それが、ちょっと間違うと「ジンクス」「占い」「運勢」とか「厄年」ということになる。これも法則を求めている結果なんです。ちょっとした根拠があっても、なかなか誰にでも当てはまる、普遍的な法則というものはありません。いい加減な法則が多いんです。では、本当に信じるに値する、私たちが幸せになる法則は何か。

 仏さまは、この普通の人間が生きている中で探し求める法則を、正しい形で教えてくださっている。それだけなんです。

 みなさんは、縁あって本門佛立宗のご信者になり、縁あって今日お参詣されている。
 今年は、「開講一五〇年」と申します。でも、私たちの宗旨は、たった一五〇年の歴史しかないということではないんです。本門佛立宗という名前は、誰が名付け親だと思われますか? それは、伝教大師・最澄であり、お祖師さま、日蓮聖人です。

 今年は、伝教大師・最澄が比叡山・延暦寺(天台宗)を開いて一二〇〇年です。しかし、その伝教大師はご自身で、ご自身の宗旨を「佛立宗」と仰ってた。今は中国の天台大師の名前から取って「天台宗」が一般的になってしまっていますが、伝教大師自身は「佛立宗」とおっしゃっている。

 お祖師さまは、「天台法華宗は佛立宗と申して佛より立られて候」、あるいは「法華宗は釈迦所立の宗なり。其故は已説、今説、当説の中には法華経第一なりと説き給う。これ釈迦佛の立て給う所の御語なり。故に法華経をば佛立宗と云い又は法華宗とも云う」とおっしゃっております。

「当に知るべし、今の法華宗とは諸経中王の文に依つて、之を建立す。佛立宗とは釈迦独尊の所立の宗なる故なり」

 これは、大変なことです。どれだけ誇り高いことか。仏教も、何度も何度も退廃したり、堕落したりしてきましたが、これだけ名前を挙げられてきても、今まで歴史上に「佛立宗」という宗旨はなかった。しかも「日蓮は何の宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず」と仰って、「日蓮はどの宗派の元祖でもない」とおっしゃっているのですから、「日蓮宗」とか「日蓮正宗」とかではダメだとおっしゃった。本門佛立宗は、「法華経本門の教えを説かれた久遠本仏の立てられた宗旨」です。絶対に「佛立宗」になる。

 開導聖人は、
「本門佛立講と申すは、宗祖出世の御本懐、上行所伝の御題目を広宣流布せしめんが為の故に、とり結びたる講也。法華宗のみは、佛の立てさせ給ひし宗旨なる故に佛立講と申し、天台宗に紛れぬように、本門と申す也」
 本門佛立宗は、法華経本門の御法門を説かれた久遠本仏が立てられた宗、ご信心です。このご信心は、人類史上で最も尊いマントラ・呪文、本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経を唱えるご信心。我も唱え、人にも勧めるご信心。ここに極まります。

 私は十二月にインドに行きました。インドの各地で、大勢の方々と交流し、みんなでこの御題目をお唱えしました。インドではまず御題目の尊さを説いてから御題目を唱えるんです。そうると、チベットやインドのお坊さん、子供たちまで一生懸命に御題目をお唱えしてくださった。
 なぜでしょうか。
 それは、仏教徒であれば誰でも知っているからです。仏教の修行には、大きく分けて二つしかない。「瞑想」と「口唱」。瞑想は座禅のこと、これは宗教的な上級者向きで、現代人にはそぐわない。心を見つめると心の深みにはまって心が壊れてしまう。ですから口唱なんです。でもインドではとても難しいお経文を唱えるので、長くて覚えられない。

 仏さまは、その最晩年に説かれた法華経で、「末法という時代に上行菩薩が現れ、大切な法を伝える」「その人は、数多くの迫害を耐え忍ぶ」「たびたび追い出される、島流しに遭う」「刀で切ろうとするが、切れない」と立て続けに予言されている。この全てが、七五〇年前の日蓮聖人の御一生とぴったりと符合します。伊東と佐渡に二度流され、龍ノ口では首を切られそうになるが切れない。

 ですから、数多くの仏教、仏教経典の中で法華経が無ければ目が無いのと一緒だ。もし、末法にお祖師さま、日蓮聖人という方が御出現されなければ、仏さまは「うそつき」になっちゃう。そのことも、世界中の仏教徒が分かる。そして、その上行菩薩、お祖師さまが、「本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経…仏さまから授かった宝物はこれです」とお説きになった。

 だから、全世界に行って、そのことを伝えて、みんながお唱えして、「うわー、確かに素晴らしい」と感動される。これを、私たち日本人、日本の佛立宗のご信者が忘れていては仕方ない。素晴らしい祈りの言葉、力のある言葉をいただいている。

 キリスト教では「アーメン」といいますね。「アーメン」はどういう意味か知っていますか? これは、古代のヘブライ語で「その通り」「同意します」という意味です。ですから、これは祈りの言葉ではありません。祈りは、他に聖書などを読んだり、いっぱいある。

 イスラム教では「アラーアクバル」といいます。これは「アラーは偉大なり」。これも祈りの言葉ではありません。

 私たちは、この「南無妙法蓮華経」という、全ての御仏の功徳、神の力、慈悲、智慧が込められている御題目をいただいている。この凄さ、素晴らしさを実感していただきたい。

 数多く、この御題目のお力、尊さを証明してくださる方々がおられます。現証の御利益談をお話しようと思うと切りがない。

 明日も来てくださる唱題寺の森田朝子さん、三年前にここで体験談を話してくださった。十年間うつ病を患っておられましたが、御題目に出会って、御利益を頂かれました。今はもっと元気になって、今度は人を救う生き方をされている。

 しかし、今の宗教者や宗教団体だけを見ると、世界や人を救う力を失っているように幻滅することもあると思います。儀礼や葬式や回向でしかお坊さんに会わないとか。確かに、本当の仏さまの本当の教え、慈悲と、今のバラバラになった宗派との溝は、もう銀河系とアンドロメダぐらい離れているかも知れない。

 だけど、お心は御題目に極まっている。これをお唱えすれば間違いない。本門佛立宗は、ご回向をずっとやっている宗団でもない。親がやってるからたまたまいわれたら来る、法要があったときだけ来る、これではダメです。御題目がありがたい。唱えたら自分が変われる。解決できなかった心のモヤモヤ、ずっと繰り返してきた悪循環、それが直る、いい方向へ向かう。感じていただきたい。

 それが、本当の仏さまへの孝行です。そういう恩返し、孝行をしなければ駄目です。それが開講一五〇年です。

 開導聖人の御指南をいただきますと、
「古へより、不孝もの、一旦、開運出世すとも、未だ亡びざる者、之れあらず」
 古来から、不孝者が、いったん成功したとしても、それがずっと続くということはない。

 みなさん自身が御題目をお唱えすること、自分からお寺やお講席にお参詣すること。自分で御法門を聞く、これしかない。どうか、佛立信者としての自覚、ありがたさを常々感じて、この御題目をお唱えし、そして菩薩行。我も唱え、人にも勧めるという恩返しのご奉公をさせていただいて、家の中でも御題目を唱えて、伝えて、握りしめていくことが大事と感得する御教歌です。




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