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《御教歌》
法花経の 流通の中に ほめたるは
  一念信解の 功徳也けり


●スリランカへ

 昨日はイタリアのご弘通の話をさせてもらったんですが、もう一つはスリランカですね。スリランカって知ってはりますかいな? インドの下の方にある島の国です。スリランカは仏教国ですが、同じ仏教でも「小乗仏教」なんです。小乗仏教というのはお坊さんは自分の修行のためには信心修行をしますが、人々を導くっていうことはないんですね。そういう国です。

 近年インターネットも普及して、色んな人たちが仏教を比較するということを始めた。すると、仏教にも大乗仏教というのがある。その大乗仏教の中でも法華経という教えがありがたい。で、この法華経は今どこに弘まっているかといったら、日本だと。それで法華経をよりどころにする宗派というものを探して、日蓮宗、法華宗、創価学会、立正佼成会、霊友会、色々研究されたらしいんですけれども、その中で佛立宗のホームページを見て、一番我々の気持ち、求めてるものに合うてる、ということで一通の手紙が来たんです。

 この人たちは十人程で法華経を信仰する会というのを作ってはったんですな。「我々『法華経を信仰する会』のメンバーは、この度『本門佛立宗・スリランカ支部』と名前を変えました」って(笑)、まだ許可得てないのに勝手にもう名前を変えてる。で、「支部ができた以上、あなたは来なければならない」って書いてあるんです(笑)。それで行きましたんですよ。夜中の一時に空港に降り立ったんですが、皆正装してズラーって並んで出迎えてくれはったんです。私はGパンにジョギングシューズ。誰も気付いてくれへん(笑)。それが最初の出会いでした。

その頃スリランカは内戦状態で、自爆テロが頻繁に起こってまして、「御導師ようそんなときに行きはりましたな」って言われるんですけど、ただ知らなかっただけの話なんです(笑)。向こうの人も「こんなときによう来てくださった」って、えらい随喜されましてね。それで佛立宗のお話しをさせていただきました。スリランカはイギリスの統治国でしたから、小学校の子でも英語を習っていて割りと通じる国なんです。

 そういうこともあって、ご弘通がどんどんできていきましてね。現在ご信者さんがだいたい千名を超えたと思います。日本に比べると貧しい国ですけれども、人々はすこぶる良い人たちですね。治安もいいです。

●ご弘通の日々

 あちらでは運転手付きでバンを二台くらい借りまして、それにご信者さんを乗せてお助行やご奉公に回るんです。一日に多いときで御本尊掛けを十二軒回ったこともありました。朝の八時から遅いときは夜の十一時くらいまでですかな。それで、日本みたいな快適な道はありません、こぉ〜デコボコと。それに赤道の近くですから年中真夏です。それと、この国えらい色んな会社が日本から入ってんのやなぁ思ってね。車に書いてあるんですわ「長松鉄工所」とか「福岡工務店」とか(笑)。工務店も鉄工所も来てんやな思ったら、日本で営業用に使ってた車をそのまま買い取って、整備も何もせんで乗ってますのや。だからもちろん冷房は入りません。窓開けなしょうがない。ところが整備不良の車ばっかり走ってますから、そりゃもう真っ黒な黒煙、排気ガスがウワァ〜っと蔓延している訳ですわ。だからどっちを選ぶかや。暑さを選ぶか、排気ガスを選ぶかて(笑)。そういう状態で揺られながら移動して行くんですがね、とにかく飛ばすんですよ。でも何キロで走っているか分からないんです、メーターがダラーンて下がったままやから(笑)。そして、お昼になりますとご供養が出ます。スリランカ料理ね。向こうの人は右手三本指で食べるんです。アレ難しいですよ。いっぺん今日お帰りになったら手で食べてや(笑)。あっちは、お坊さんを敬うという気持ちが凄いわけですわ。だから「皆さん一緒に頂きましょう」って言うたらね、「いえいえ、あなたが先に食べてもらわないけません」と。それでまず私一人で食べるわけや。三十人くらい皆見てはるわけやな。あっちの人は目が大きいんや。六十の目で見つめられながらなぁ、手で食べるってごっつ大変よ(笑)。そういうご奉公ですわ。

●入信への三つの「縁」

 そういう中で、なぜそんだけ弘まるかいうことやね。まず仏教を求めてる。今までは、お坊さんはお寺にいて自分たちとは関係ない。布施・供養はするけど、教えを説いてくれたり、悩みを聞いてくれるわけでもない。そこへ私が行ったら「あっ、あれ何や。日本からお坊さん来てる」って言って、すぐ分かるんですよ。窓にガラスが無いから。それで、拍子木打ちまっしゃろ。ほんなもぉ近所に聞こえて、終わる頃にはみんな外に並んで覗いてるわ(笑)。ほんで「あんたんところ何やアレ?」って言われて、「いやぁ、日本からお坊さんが来て拝んでくれてる」って、「ほな僕も入る、私も入る」ってこうなってくるんです。

 かつて日本でもご弘通が何でできたかいいますとね。三つの「縁」なんですな。何かいうたら、「地縁」…土地の縁。近所付き合い向こう三軒両隣。それから「血縁」…血の縁、親戚。それからもう一つは、「社縁」…仕事の縁。商売で弘まっていく。昔は商売の主人が入信しますと使用人みんな教化したもんですわ。それで佛立宗は弘まったんです。

 今、日本はこれあらへんのですよ。土地の縁…、近所付き合いしませんなぁ。マンション住まいで隣の人に「会うたことないですなぁ」って人多い。親戚付き合い…。今、一人っ子多いでしょ。例えば一人息子と一人娘が結婚してそこに息子ができたとしますやん。するとこの息子の親には兄弟いませんから、オジさんがいないんですよ。オジさんがいなかったらイトコもいないんです。親戚無くなるんですね。社縁…、昔みたいに終身雇用やないから、コロコロ仕事変わりますでしょ。会社での人とのつながりができません。

 ところがスリランカはこれらが全部残ってるわけですわ。だから一人が入信してお助行に行きますでしょ、こちら何とかペレラさんと紹介されて、その次の人も何とかペレラ。またペレラ。兄弟です言うてみんな教化。それからお医者さんが入信されるでしょ、そうするとその方が仲間を教化していってお医者さんのグループができる。学校の先生が入信すると先生のグループ。ある村の長老が佛立宗に入信して、「これはえぇから皆せぇ」言うたら、もう村がみんな佛立宗になるんです。

そんな形で弘まっている。それで各地域にご弘通ができてきたんで、佛立結成五周年記念のお講を合同でしましょうということで、この前コロンボに会場を借りましてお講を勤めたんです。

●国家行事に招待

 それから「世界平和の塔」っていうのを二年前に建てたんです。その前に、ひょんなことから私が向こうの人たちの集まりで講演をさせてもらって、私がめちゃめちゃええ話をしたんですね(笑)。

それは一九四八年に、スリランカがセイロンっていう国から独立したんですよ。イギリスの統治下から。一九五一年にサンフランシスコ講和条約っちゅうのがあったんですわ。そのとき日本は敗戦国で、アメリカ、ソビエト、フランス、イギリスという国が、日本に対して「戦争責任を取れ」と、世界中から賠償請求をされたときに、このスリランカの当時の大蔵大臣、後の首相は「私共スリランカの国は、日本に対して一切の戦争責任を問いません」という演説をしたんですよ。「我々は仏教国です。お釈迦様は『恨みを恨みで返してはならない、忍をもって行ずれば、恨みを沈めることができる』とおっしゃっている。であるから恨みを恨みで返すことはしない」といって、日本は賠償責任を免れたんです。だから日本はスリランカという国に大変恩義があるんですね。で、その話をした。そら向こうの人皆知ってますわ。でもこの話をお釈迦様がどういう状況で話されたかということは知らないわけですね。そこはこっちはプロや(笑)。その話をしたら、こらぁ凄い言うてね。「この方を世界平和の塔の開塔式典に呼ばなければならない」言うて、また勝手に決めてるんですよ(笑)。それで招待状が来て、私は参列の一員として呼ばれてると思って行ったんですよ。でも、空港に着くと何か様子が違うんですなぁ。まず「ここで正式な格好に着替えてくれ」言われて、何でこんな大層な格好すんのかな思ってたら、テレビ局が来てるんですわ。誰を撮ってるかと思ったら、あっ私や! で、歩いていくとその前を綺麗な女の子がずっと踊ってるんですよ、音楽鳴らしながら私を先導しとるわけや。それで、バカでかい傘を私に差してね。大臣か首相とかにしかせんことをしてくれとるわけ。もう私も御講有にでもなったつもりにでも成り切らなぁしゃあないわな(笑)。もう度胸。で、世界平和の塔に着いて御看経させてもらったんですわ。で、ふと見たら佛丸が入ってはんねん、佛丸が! これ前に行ったとき、講演で佛丸の話をしたんです。これは日本語で二つの漢字を二つ組み合わせて、佛立と読むと。『佛』というのは、釈迦牟尼仏陀。『立』は、創立した。Founded by Shakyamuni-Buddha.… 釈迦牟尼仏陀によって立てられた宗旨、佛立宗であると説明した。その通りやがな。嘘ついてへんもん。ほんなら向こうの人、これは仏教のマークやと思い込んでもうたわけやな。それで佛丸をボーンって付けて、佛立宗の塔になってもうてますのや。

 それの二周年記念式典に二月に行ったんですが、そのときの模様と、佛立宗のスリランカ開教五周年のお講の様子のビデオを見ていただいて、向こうの佛立宗の雰囲気を感じ取っていただきたいと思います。向こうの方のほうが熱心ですよ。本当に熱心。皆さんも熱心ですけれどもね(笑)。

 スリランカのとなりにインドがありますね。インドの霊鷲山という所でお釈迦様は法華経を説かれたんです。ビデオに映ってた方で、インドから来られた方がいるんですが、元ヒンドゥー教徒だったんですけれど、佛立宗に改宗されて、実は自分がお釈迦様が法華経を説かれた場所で生まれ育ったということに気付かれて、自分はその故郷に帰ってこの佛立宗を弘めたい、私に一緒に行ってもらえないかということで、今その手続きをしてるんです。佛立宗が霊鷲山に弘まるということになれば、これは七五〇年前に日蓮聖人が「この法華経本門の教えをインドに返しなさい」と遺言された、そのご奉公が七五〇年ぶりにさせていただけることになるんです。

 こうして本門佛立宗のご信心が今あちらこちらに、私のご奉公というよりも、長松清潤師のインターネットによるご奉公によって、こういう成果が少しずつ上がってきているわけです。

●ウブな信心、随喜の功徳

 この本門佛立宗のご信心は法華経です。法華経でも本門八品といって、全二十八品(章)の後半十四品(本門)の中の八品で、お釈迦様が、自分の本体は久遠本仏であるということを明かされて、上行菩薩という方に説かれた部分が本門八品。この教えが末法の法華経なんですね。この末法の法華経のことを末法にず〜っと伝えるということで流通(るつう)っていうふうに言うわけですわ。法華経本門八品の教えの中で何が一番大事かというと、御教歌に「法華経の流通の中にほめたるは 一念信解の功徳也けり」とおっしゃられて、「一念信解の功徳」が大事なんです。一念信解の功徳と言うのは、自分がこのご信心にお出会いさせていただいたこと、御題目を唱えていること、その御題目を弘めさせていただいて、またその方がご利益を頂いていく姿を見て喜ぶ、「あ〜ありがたいなぁ、結構やな」という気持ち、この「ウブ」な気持ち、これが御宝前と感応するんです。だから佛立宗はあんまり理屈は言わないでしょ? 「素直」がええ、「ウブ」がええって言う。このウブな喜びって、何を喜ぶか言うたら、自分が御法のお役に立っていることを喜ぶということが大事ですね。だからお寺にお参りさせてもらったら、何かお寺のお役に立つことをさせてもらって、そのことを喜ぶ。人間はね、役割りを失ったらダメです。ボケる老人の特長は、役割を持つことに喜びを感じない人に多いそうです。ご信心もそうです、やっぱりお役に立つことを喜ぶご信心がぼけない信心です。

 天王寺動物園の園長さんが言ってました。動物園のライオンとアフリカのライオンはどこが違うか。自然のライオンはボケないそうですが、動物園のライオンは歳取ってくるとボケるんだそうですよ。なぜかというと、役が無いからです。動物園は冷暖房完備の二食昼寝付き、肉かて噛み切らんでもええようになってる。だからキバが退化して抜けちゃうそうです。歯が弱ってくるので、飼育係の大事な仕事は、ライオンの歯を磨いてやることだそうで、ライオンはライオン歯磨きで磨いてやるといいゆうてね(笑)。

信心もそうです。「あ〜、お役に立たせていただいてありがたいなぁ〜」、と思う一念が功徳になるんですね。私はスリランカのご信者さんからそうゆうことを逆に学ばせてもらいました。喜んでされているという「ウブ」ですわ。敬いの心というのも凄い。向こうの子は小学校一年生くらいの子でも誰に教えられるでもなく、みんな私のところへ来て座って、足袋の上に頭を付けてこう礼をするんです。僕もものすごう偉くなった気がしましてね(笑)。あれ法華経の中に「釈尊の御前に詣でて御足を礼し」って書いてあります。その時代からのしきたりを守ってるんです。そうゆう敬いの心がありますからご利益頂くのも早いです。「喜び」と「敬いの心」があって「お看経」しましたら、昨日入った人でもご利益頂くんです。国は関係ないです。お題目さん唱えてたらええんですから。ビデオでスリランカの人たちが「如来滅後」唱えてましたな。あの方たち意味分かってないですよ、日本語やから。「今本地の娑婆世界は…」って。イタリア人も。でも皆さんと一緒ですわ、皆さんも意味分かってないんやから(笑)。

●素直さで頂く御利益

ビデオにも映ってましたが、入信前に歩けなかった方がいたんですが、その人が入信して歩ける様になって、歩いて自分で参って来はったことがありました。それから自分の敷地に井戸を掘った人がいまして、職人を雇って掘ろうとしたら、雨が降り出したんですわ。雨が降ったらもう工事できない。でももうこれ外したら掘る日がないと。そや、今度入信した佛立宗の御宝前でご祈願しよ言うて「雨止んでいただきますように」ってご祈願した。そしたら雨が止みだした、止んだ止んだ、工事工事って言うたら、また降り出した。拝み方が足らん言うて、また一生懸命拝んだらね、雨が止んで工事がその日の内にできて水が出たという話。たまたま止んだって思うでしょ? ところがね、降ってなかったのは《この家だけ》だったんです。周りは降ってるのに何でここだけ降らんやったかなって不思議がってる訳ですよ。

 それからお医者さんが教化した人がね、非常に難しい血液の病気になった。「あんた、医学的には難しいからお題目を唱えなさい、お供水さん頂きなさい」って勧めて、それを一生懸命にやったら、日に日に良くなってくんです。そのカルテを他のお医者さんに見せても、これでは治るはずないって言うんですね。でも治ってる。

 そうゆうような御利益が出てきてるんです。素直やから。「あ〜、ありがたいなぁ」って、この思いがあるからですわ。

●感性を取り戻そう

 「ウブな思い」がいかに大事か。「一念信解の功徳也けり」で、私たちに今一番欠けているのは、そういうご信心の感性ですよ。ウブな感性。これを私たちやっぱり取り戻さなきゃいかんです。こちらが本家なんですから。そういう感動、喜びというものをなぜそんなに強調するのかと言うたら、清潤師もおっしゃってますが、それがご利益を生み出すエネルギーになるからなんですね。

 どうぞこのお会式にお参詣された皆さんは、今日からまた自分の心の中に、ウブな「あ〜ありがたいなぁ」というご信心を呼び覚ましましょう。そしたらもっとどんどん御利益が生まれてきます。そういうことをお示しいただくのが、本日のこの御教歌です。


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