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《御教歌》
朝夕の つとめは家の いのりなり  いそがしくても これはやめるな

 朝と夕方の御宝前へのお給仕、お看経は何より第一であることをお示しの御教歌で、そのことがおろそかになるのは極めてもったいないこと。家族が幸せに、健康に、心豊かに生活するために、何より朝に夕に御題目口唱させていただくことの大事を感得させていただく御教歌でございます。

 誰でも「不幸に暮らしたい」とか「毎日喧嘩して暮らしたい」「嫌いな人間と一緒に暮らしたい」なんて思っている方はいないと思います。毎日ギスギスして、イライラして、もしそんな生活だったら、「嫌、もうここから逃れたい」と思うはずです。できれば自分や家族が健康で生活に困ることなく、充実した日々を送りたい、傷ついたりすることがないように、あるいは傷つけてしまったりすることがないように、病気になりませんように、仕事がうまくいきますように、こうお願いをする。それが家族全員の祈り、一家の願うこと、そうだと思います。この御教歌の上の句に「家の祈りなり」とお示しなのはそのことです。誰もが願っていることと、朝夕のつとめとがどう結びつくか。つまり朝に夕に御宝前に向かって、御題目をお唱えする、お給仕させていただく、それが関係してるんです。これをしっかりと肝に銘じてないといけません。

 誰もが願っていると申しましても、パッとニュースを見ただけでも、中々うまく行かないな、行かない人ばっかりなのかなと思います。仕事のこと、人間関係、夫婦関係、親子関係、これは難しいもので、思うように行かないんですよね。耳を覆いたくなるような事件。寺報7月号には「カー、たすけて」という題名である事件を載せさせていただきました。これは幼児虐待の恐ろしい事件です。またつい先日は千葉県で、一家5人が逮捕されるという幼児虐待致死事件。一家5人というのは、お父さんお母さんお爺ちゃんお婆ちゃん曾お爺ちゃんまで、全員で共謀して3歳の子供を殺した。理由は「言うこと聞かないから」。ついこないだは73歳のお婆ちゃんが実の2人の孫の首をロープで絞めて、「お嫁さんを困らせてやろうと思った」と。理由は「自分になつかないから」と、こう話している。しかし、「ワー大変だわね、世間の人はマー恐ろしい」と思うだけで他人事にしてはいけません。このことはずっと言い続けているんです。私たちのごく身近なところでも、よく耳を澄ませてみれば、いや自分自身の心に手を当てて考えてみても、家庭の問題が多く見えてくるんです。家庭内暴力、家庭内別居、幼児虐待、浮気、不倫、仮面夫婦、あげたら切りがありません。

 つい一昨日、妙深寺まで来てくださった方がいました。42・3歳でしょうか。お子さんが3人いらっしゃる。家庭内の問題で苦しんでいる。家庭の不安、ご主人の色々なことで悩んでいたんです。その方にも話をさせていただきましたが、そういう問題は、何より日ごろの家庭のあり方が大切なんです。当たり前の話かも知れませんが、何か事が起きてからなんとかしようと思っても、中々うまく解決の糸口が見えてこない。それが、ご主人の浮気、奥さんの浮気、突然暴力を振るうようになった、子供がもうしょうがなくなったといって、ウワーッと思い何とかしたいと思っても、中々解決の糸口が見えてきません。

 仏さまは「恐怖悪世(くふあくせ)」と御経文に説かれております。世の中には欲望を刺激するものや寂しさを慰めるものに溢れています。正直はなくなり、うそがまかり通っていく。真実は隠れて、偽りが増えていく。そういう末法という社会、恐怖悪世に生きている私たちであり、そうした中で手をつないで家族が生き、家庭を築いている。ですからよほど注意しない限り、本当に健全で幸せな家庭を築くことはできません。大金持ちで御殿のような家に住んで、別荘までも持っていても、ポツンとたった一人で、寂しい思いして暮らしている人が五万といます。端から見ているうちは分かりません。お金持ちで幸せそうだと思っても、寂しくお金の番だけして生きている人いますよ。よ〜く考えよう〜お金は大事だよ〜♪「保険は何か良いのないかな?」なんて、ずーっとそのことばかり考えている。夫婦で問題が起きても、お互いに逃げ道が多い社会なんです。ですから、正面から向き合うこともなくなってしまう。何とか家庭を、なんていうことよりも、「あっそ!」なんて言って、かりそめの恋に溺れてしまったり。自由勝手に気ままに生きてしまう。「子供よりも自分」「自分らしく生きたい」そう言い合って、ごまかして、逃げ回って生きている人が多くいる。誰でも幸せを願っているのに、願って止まないのに、そうはならない、できない、恐怖悪世、末法。本当に私たちは時に弱く、愚かなんですね。その弱さを知って、ではどうやって幸せを得ていくのか。

 御宝前と申しますのは、御本尊を奉安させていただいている御戒壇全体のことを申します。御(おん)宝(たから)の前(まえ)。こうしてお参詣している方々のご家庭には必ず御宝前があると思うんですよ。その御宝前への朝と夕のお給仕とか、お看経とか、ご挨拶はどうですか? 御宝前というのは私たちの心を映す鏡なんです。家の中に鏡がなかったら、朝、寝グセを直すこともできません。「あっ鼻毛が出ているな」とか「歯くそが付いているな」とか、「恐ろしい顔しているな」「今日は疲れているな」、普通の鏡がなくても、顔を見ることもできない。そんな顔して人と会ったら、「あんた、なんて恐ろしい顔してるのよ、疲れているわね」となりますよ。心を映す鏡ですから。朝に夕に「南無○○経…ア〜今日はこんな辛いことがあったわ、南無○○経あの野郎め」と思って帰ってきても、「ア〜私何か違うわね、考え方がおかしいかも知れない」、自分の心の姿を見て、家族も自分の心の姿を映していれば、お互いに過ちを犯しやすいけれども、過ちを犯すこともなく、お互いに傷つけ合うこともなく、裏切り怨むこともない。心を開けない、心を開かない、家族同士で向き合えないってこともない。そうゆうことも時にはあります。私たちは弱いから。でも家の中に御宝前があるなら、サムシンググレート、何か偉大なものが家の中にあるわけですから、ご主人よりも偉い方ですよ、御宝前は。どれだけみんなで敬う場所が家の中にあるっていうことが大事なんです。しかも「生きてまします御仏」なんです。

 別の御教歌に
 信心をする人のすむ家なれば
  悪鬼悪魔の来るたよりなし
 かように御教歌がございます。

 もしご信心をさせていただく人が一家の中に一人でもいたら、悪い鬼、悪い魔が入ってくるようなことはないと。本当に弱いですから私たちは。ちょっと油断をすると、自分で気づかない内にフッと魔が入って来てですね。魔っていうのは必ず自分に都合がいいわけですから、良いことあったなってところから始まるんです。良いことがあったなと言ったところで、「アっこんなはずじゃなかった。何でこんなところに来ちゃったんだろう?あれ?何で何で?」って言う間に悪い方向に行ってる。大切な人から遠ざかってる。大切なものを忘れてしまう。魔ですから。やっぱりうそをついたり、裏切ったり、フッと魔が差してしまう。でも朝に夕に忘れることなく、心を込めて、御宝前に向かう人であったら、そういうことはないんです。忘れている、怠っているから魔が入るんです。

 先ほどビデオで放映をさせていただいた大河内さん。本当に素敵な方です。何が素敵かと申しますと、とにかく素直にご信心されているんです。正直素直にといっても私たちは中々できません。大河内さんは入信してから御宝前のお給仕、お寺へのお参詣はもちろん欠かしません。今年の始めには初めてお家でお講を受けました。それ以降良いことがあって仕方がないんですって言ってるんです。自分で商売を持って、事務所を開くことができて、結婚することができて、子供二人できて、家も新築して、もう良いことずくめなんです。女性で1ヶ月60万も70万も稼いでるんですよ。素直に信心して。同時に、勝手な信心になった時、行きたい時にお寺に行って、行きたくない時にはもうお看経もしないとか、そうゆう風になったら、うまくいかない。そのことも自分で実感しているから、だから止められないっておっしゃっているんです。あぁこうゆう姿は私達にとって、家族にとって、あるべき姿だな。だから「いそがしくてもこれはやめるな」ってこの御教歌にあるんですね。「いそがしくてもこれはやめるな」やめたらいけませんぞ。

 昔私インターネットでご相談をされた女性がおりました。「オーストラリアの方と結婚を考えているんです。しかし色々悩んでいるんです」っていう方だったんです。その方ご信者さんなんです。私なりに返信したんですけれども、ごく最近になってですね、その方が円満に結婚をされました、子供も生まれて、幸せに暮らしているんです。そうゆうことをお聞きすることができたんです。「ウワー良かったなー!!」って本当に感動感激しました。それでもっと感激したのは、先週末にそのことをお聞きしたんですけれども、その方とご結婚されてですね、夏期参詣は毎朝、オーストラリア人のご主人と沼津のお寺に朝参詣されている。9ヶ月になるお子さんと一緒にお参詣されているんだ。彼女は本当にすごいなって。ご主人もご信者さんでなかった。当たり前ですね、オーストラリアの方ですから。さらにさらに感激したのはそのご主人、時折やっぱり、気持ちがすれ違って、言葉の壁もありますから、全部が全部伝わるわけではない。喧嘩をしてしまうことがあり、家の中で。「なによ!わかってないの?」ってなるのかも知れません。そうゆう風に喧嘩をしてしまうことがあるんですけれども、そのご主人からこう言うんだそうです。「私たちにはクールダウンが必要だ」と言って、夜中の一時でも御宝前の前にご主人が誘って、2人でお看経をする。「そうするとうまくいくんです」と、それを先週末聞いてですね。これはご信者の家庭の夫婦の鏡だな。せっかく御宝前があって、そうゆう風にできない人は哀れだな。朝に夕に忘れずに、ご夫婦で喧嘩しても忘れずにさせていただくことが大事なんだな。

 開導聖人の御指南を拝見いたしますと
 「御題目よけいに上げる家、上げる人は、萬事都合よく、必ず不思議に家と身とに障りなし。これ御経力なり云々」かようにお示しでございます。

 御題目が朝に夕に上がっている家、そうゆう人には万事、必ず都合良く、必ず不思議に家と身とに障りがない。幸せになろうと思ってもなれない。家庭円満でいたいと思ってもできない。その家の祈りを叶えるには、御宝前を中心にして、朝夕のお看経ご挨拶お給仕をさせていただく。それが秘訣だっていうことをお示しいただいているんです。

 どうか、これは毎日のことですから、朝夕に御題目をお唱えする。これが家族の願うことですから、忙しくてもやめてはいけません。今、夏期参詣、とにかくさせていただくと、不思議と全てが変わっていく。多くの人が家庭問題が起きても、ご信心と結びつけません、お講師にも相談しません、お役中さんにもお話しなんかしない、別個のものですから。家庭でどんな問題が起きても、逃げ道いっぱいあるわけですから。どうか朝夕の家の祈り、遠回りをせずに、ちょうど夏期参詣でもありますから、一大奮起して、お参詣にも気張ろう。よし! 今までちょっと眠かったから、夜のお参りはあいさつだけでやめてたけれども、やろう! と思ってですね。御利益を感得して、「私と家族の開導会」、私と家族の御利益をお互いに感得することが大事、それは朝夕のお看経お給仕とお示しの御教歌でございます




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