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イスラエル渡航記 第14話 「聖墳墓教会」

長松清潤 記


「昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして、三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは『我が神、我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」(マルコ伝)

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 全世界にキリスト教徒は何人いるのだろうか。仏教徒は何人いるのだろう。ある調査によれば、キリスト教徒は約20億人(33%)、イスラム教徒 13億人(22%)、ヒンドゥー教が9億人(15%)、仏教徒が3億6千万人(6%)、儒教・道教2億3千万人(4%)、無宗教者が8億5千万人(14%)、その他5%程度だという。この数字をどう見るかは別の機会に譲るとして、この天体に住む人類が、最も数多く信仰している宗教はキリスト教となります。

 キリスト教、イスラム教、仏教は、「世界宗教」と呼ばれます。それは、文化や人種、民族の枠を超えて広まる普遍性を持つ宗教という意味。これとは別に、何度か取り上げているユダヤ教や日本の神道、ヒンドゥー教などは、特定の地域や民族にのみ信仰される宗教として「民族宗教」と分類されます。この分類で考えれば、当然ながら本門佛立宗は「世界宗教」。普遍性を持ち、人種や文化を超えて、世界中に広まるべき教えであることが分かります。

 その同じ「世界宗教」の中、現時点で約20億人もの最大数の信徒を抱えるのがキリスト教です。様々な分派が存在するとはいえ、有史以来、数百億人が信仰してきた、恐ろしく巨大な宗教です。

 今回、私が何度もこのことを書かせていただいているのは、カトリック、プロテスタント、東方正教など、いくら分派が存在しようと、等しく信仰を集めて止まない場所が、旧市街にあるキリスト教最大の聖なる建造物、聖墳墓教会であり、この場所がキリスト教のルーツだと分かって頂くためです。

 イエスを「救世主(メシア)」とする宗教がキリスト教の定義であるならば、イエスが十字架に架けられ、磔(はりつけ)刑に処せられた場所であるゴルゴダの丘や、十字架から降ろされ息絶えたイエスの身体に香油を塗ったとされている台、そしてドームの中央にあるキリストの墓は、信徒にとっては最も聖なる場所。その墓は、イエスの時代には洞窟だったとされていますが、現在は大理石の彫刻などに飾られた祠のようになっています。私は、このキリスト教の信仰のルーツ、その場所に立って、世界最大の宗教、キリスト教についての弘通研究を終結し、いよいよ多くのキリスト教徒の方々へのお教化に進みたいと思っていました。

 聖墳墓教会は、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母であったヘレナにより、イエスの時代から約300年後に建てられました。熱心な信者となった彼女は、326年にエルサレムに巡礼し、ベツレヘムの聖誕教会やこの聖墳墓教会を建てたのです。当時、この場所は何棟もの建物がありましたが、11世紀の十字軍が、独立した建物を一つにする大改修を行いました。50年もの改修で、地下からドームまでが一つとなり、壁に継ぎはぎの跡は目立つものの、現在の形になりました。教会の正面に立っても、どこが聖墳墓教会なのかは見分けが付きません。しかも、「ゴルゴダの丘」と丘陵を想像していたのですが、全く丘などはありません。建物の中、入り口の右側の階段を上がると、そこがゴルゴダの丘だと言います。

 嘆きの壁では帽子を被らなければならないと注意をされました。しかし、この教会に帽子を被ったまま入ることは許されません。当然ですが、宗教によってほんの数百メートルしか離れていないのに敬意の表し方が全く違う。私も本門佛立宗の僧侶として、敬意を払って帽子を脱ぎ、聖墳墓教会の中に入りました。

 正面の壁には、イエスが磔刑にされ、洞窟に埋葬されるまでの一連の出来事が描かれていました。私はゴルゴダの丘に登りました。祭壇が飾られ、刀を抱いて泣いているマリアの画。磔刑のイエスと手前の石机。そこに潜り込み祈る人々。お数珠を手にして御題目をお唱えしました。ここは、嘆きの壁の比ではない。恐ろしく冷たい、重たい空気が流れており、御題目をお唱えし、お数珠を握りしめていなければ、すぐ押し潰されそうになります。

 ゴルゴダの丘を後にして、正面から左側のホールに、イエスの墓があります。祠のような、小さな入り口の墓。そこに、順番を待って入ってゆきます。ビデオカメラを持ち、お数珠を握り、中に入りました。そこには、大理石で出来たイエスの棺があります。何より驚いたのは、最も奥の、イエスの棺の真ん前の地面、大理石で出来た床が、すり減って凹んでいることです。数千万億人が巡礼に訪れ、この床を踏みならしたのだと、足の裏から感じました。皇帝も首相も、近代史に名を残した人々の多くが、キリスト教徒であるが故に、この場所を訪れています。かのラスプーチンというロシア帝政の末期に登場した恐ろしい怪僧も、この同じ場所を巡礼し、ここに座っていました。私はこの場所で本門の御題目をお唱えし続けました。

 イエスの最後の言葉、「神よ、どうして私を見捨てたのか」。同じく打ち首の刑に処せられようとしたお祖師さま(日蓮聖人)は、「これほどの悦びをわらへかし」と。そしてお祖師さまは龍ノ口の刑場で見事に現証を顕されました。永遠に語り継がれる現証です。

 息絶えたイエスが聖書のとおり復活したかどうか、私には分かりません。ただ、残された弟子たちの苦悩とその後この場所を襲った不幸な歴史は感じます。聖墳墓教会で最も恐ろしい場所は、地下に続く階段に刻まれた十字架。それは熱狂した十字軍の騎士たちが、固い階段の壁に所狭しと刻んだもの。その時、聖墳墓教会の外はムスリムの血で溢れていたと伝えられています。


(妙深寺報 平成17年5月号より)