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イスラエル渡航記 第8話 「ロスチャイルド家の影」

長松清潤 記


 ガリラヤ湖を後にして、私はゴラン高原へと北上しました。この地は一九六七年の第三次中東戦争でイスラエルが獲得した地域で、想像以上に美しい丘陵は、今は地雷が多く埋められているためにフェンスで囲まれています。 標高二八一四mのヘルモン山に端を発するヨルダン川は、イエスが洗礼を受けたことで有名です。私も上流で川岸まで降りてみました。何らかの清浄な雰囲気を期待していましたが、小さな川面を、大学生が楽しそうにカヌーで下っていきました。どうも興冷めしてしまいます。ゴラン高原は、日本のPKOも派遣された休戦地区。シリア国境を見渡せる場所まで来ると、上空を攻撃型ヘリが旋回していました。車を停め、基地や国境を撮影しました。

 ゴラン高原で真っ赤な夕日を眺め、テル・アビブに戻りました。ユダヤ人の彼と親密になれたこともあり、実りの多い一日となりました。

 テル・アビブの駐車場でレンタカーを引き上げ、夜の高速道路を走りながらエルサレムへと向かいました。整備された素晴らしい道路です。アメリカのハイウェイの方が汚いくらいに感じます。深夜、エルサレムの街に入りました。ここが、私がこの旅行の目的とした街。宗教の入り乱れる街。紛争の街だと思うと、自ずから緊張が高まり、何と頭の思考が止まってしまいました。何度も何度も道を間違え、怯えながら、ようやく市街に入ることができました。 イラクで外交官が殺害される三ヶ月前。今考えると恐ろしいのですが、外務省は「東エルサレム、ガザ地区、ベツレヘム、ヘブロン、エリコ」に「危険度4(家族退避勧告)」、その他の地域に「危険度3(渡航延期勧告)」を出していました。つまり、これまでの行程で、最も危険な地域に入るということですから、緊張が高まるのも当然でした。

 イスラエルは首都を「エルサレム」としていますが、多くの国は紛争地域としての配慮でテル・アビブに大使館を置いています。(しかし、アメリカの大使館はエルサレムに設置)

 私は、クネセットと呼ばれるイスラエルの国会議事堂の横を通り抜けて、旧市街から四〇〇メートル程のホテルを目指しました。この国会議事堂は、アメリカの大富豪ロスチャイルド家の寄付で一九六六年に完成しました。

 また、ホテルの近所にはロックフェラー博物館があり、紛争の最中にあるエルサレムという街に、世紀の大財閥の痕跡が多く残っていることを、最初は不思議に思えました。

 そうだ。このエルサレムという場所、イスラエルという国が血塗られた場所や国である理由は、「宗教」という定規だけでは測れない程、恐ろしく複雑な利害が絡んでいるのだと気づきました。数世紀を遡る国際金融市場の成立に当たって、巨万の財を為したユダヤ系の資本家が、イスラエル建国の歴史に(米国建国の歴史もそうだが)大きく関係していることは、この国会議事堂を見ただけでも分かります。これは、陰謀や裏社会などというゴシップ的な話ではなく公然の事実です。歴史に刻まれ、現代社会が主として利用しているシステムの話です。ユダヤ系の金融財閥は、世界を席巻しており、遠くの国の話ではありません。世界の経済を左右する、米国の連邦準備銀行(FRB)は、非公的機関であり、銀行の株主は全て民間です。政府は一銭の株式も所有していません。日本銀行ですら政府の一機関ではなく株式会社で、ジャスダックに上場しています。その株主の四〇%は不明で、海外の資産家が所有していると考えられていますし、FRBに至っては当然のことだと誰でも知っています。恐ろしいことですが、これは一部の資産を持つ「資産家」が、世界の人々の幸不幸を決定的に左右する、政治・経済・金融・外交・軍事・教育に大きな影響力を持っているということで、そうした強大な力が一国の「国会議事堂」を寄付するという異例さを見ても明らかになるのです。

 特に、米国とイスラエルは経済的にも政治的にも、もはや切っても切れない密接な関係を作り上げてきました。それは、宗教的な教義と信仰心、民族的な感情だけではなく、政治的意図と国益の追求、金融市場の支配権を巡る複雑な関係であり、そこから血塗られた戦争やテロ、紛争を繰り返してきたということなのです。

 イスラム法では、利子を取ることを禁じています。故にイスラムの銀行は私たちの知る金融システムとは異なり、融資と利子ではなく投資と利潤で収益を上げるシステムです。現在の世界の中央銀行制度に、実はこのシステムは適応しません。金融の裏には「力の道」が不可欠で、独占のシステムが必要といわれるように、イスラエルとパレスチナの相克の中、西欧とアラブの紛争の中に、様々な要素が複雑に絡み合っていることを知らなければならないのでしょう。

 しかし、そうした意図の中で傷つき、死んでいく子供たちがいます。先日、米国のイラク攻撃で爆死した五才の子の映像を見ました。父親が絶叫し、彼を抱いてカメラの前を走ってゆきます。その時、グッタリとした男の子のお尻が見えました。それを見ると、小さく「おもらし」の跡が見え、それを見た途端に私は号泣しました。涙が止まりませんでした。怖かったのだろうか、痛さで力が抜けてしまったのだろうか。私は、自分の息子が机の角に頭をぶつけただけで、言い知れぬ痛みを感じます。「あぁ!大丈夫か」「痛いの痛いの、飛んで行け」と、抱いてさすります。もし、我が子の身体が傷つき、怯え、ましてや「おもらし」をしてグッタリして腕の中で死んでしまったとしたら。

 この戦争の真の理由が見えません。訳の分からないことで我が子が死ぬとしたら、どれだけ居たたまれないか。「民主化」だの「自由化」だの、美辞麗句の裏側に、政治的な意図や個人的な欲望があるとすれば、何と恐ろしいことでしょうか。それを、真実の仏教、本門佛立宗の私たちが、眼を反らしている訳にはいかないと強く思うのです。絶対に許すことなど出来ません。いまこそ、眼を開かなければなりません。

 もう、小出しのニュースや脳天気なワイドショーなど見たくありません。野球のストなど、どうでも良いのです。この地球のどこかで、子供たちが今もまた怯え、傷ついている姿を思い浮かべると、人類の無知と自分の無力を恨み、イラクに行きたくなります。


(妙深寺報 平成16年10月号より)