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イスラエル渡航記 第3話 「入 国」

長松清潤 記


 キリスト教が大好きでした。

 子供の頃、クリスマスやバレンタインデーが近づくと友達たちが騒ぎだし、教会での結婚式やウェディングドレスが映画やテレビに映し出されるたびに、その華やかさに圧倒されました。私たちの周りには憧れる理由が数え切れない程ありました。しかし、残念ながら、我が家ではクリスマスツリーも電飾も、プレゼントもありませんでした。私は悔しかったですし、淋しい思いがして仕方がありませんでした。華やかで、暖かそうで、愛情をストレートに表現する雰囲気。子供の頃に感じた何とも言えない憧れは今でも消えていません。しかし、文化的な素晴らしさと宗教的な見解とは違うということを明らかにしていくことは、この旅の目的の一つでもありました。ミイラ取りがミイラになる、という戒めがありますから、間違えば謗法であり、御利益の止まる愚かな行為です。しかし、世界の中で、ご弘通を志す第一歩に、現在の世界を席巻する宗教の原点に触れることは、重要な意味があると勝手に思い込んでいました。それは、佛立開講150年をお迎えする本門佛立宗にとっても、非常に重要なことであると考えました。

 顧みますと、開導聖人は明治15年御牧日教師にキリスト教研究を兼ねて上京させました。後に、関東開教の祖として四世に加歴される日教上人は、この時、麻布桜田町にあった「乗泉寺」に止宿したそうです。これが関東開教の始めです。日教上人は温厚篤実な方と聞きますが、決して保守的ではなく、時勢に敏感で、極めて進取的であったと伝えられています。特にキリスト教の研究では、プロテスタントの宣教師、ウェンス氏について旧・新約聖書などを猛勉強された程です。明治11年、自由民権運動の活発化と時期を同じくして、キリスト教が爆発的に飛躍し、封建的社会から解放された個人の共感を誘い拡がっていきました。その帝都で日教上人はご奉公をされたのです。そして、大変な成果を挙げられました。その上人は、安政4年、佛立開講の年のお生まれ。何か開講150年に向け、不思議なご因縁を感じさせていただきます。

 150年後の世界で、世界が一つに結ばれる中、イエスが過ごしたという国や地域に、本門佛立宗の教務が訪れ、再度研究をするということにも勝手な意義を感じていたのでした。

 私は、パリ経由でイスラエルに入りました。第二次世界大戦の英雄、シャルル・ド・ゴールの名を冠した空港に未明に到着。興奮しつつ夜明けを待ち、イスラエル行きの飛行機へと乗り継ぎました。警備は極めて厳重で、何度も何度も金属探知器をくぐり、何匹もの犬に臭いを嗅がれながら搭乗しました。また、幸いにも上空の窓からアルプスの山々を観ることができ、のんきにも「アルプスの少女・ハイジ」のアニメを思い出していました。険しい山の麓に小さな村落を見つけては、そこに暮らす人々に思いを馳せたりしていました。しかし、日本人は私一人きりですから、少しづつ不安になってきたのも事実。

 点在していた島が消え、地中海から赤茶けた海岸線が見えると巨大な3本の塔が見えて来ました。同時にアナウンスが聞こえ、イスラエル初代首相のベン・グリオンの名を冠した国際空港に到着する旨が伝えられました。

 タラップから下りると滑走路にバスが待機していました。乗客たちはそのバスに乗り込んでいきます。しかし、階段の下に待っていた屈強な男性2人に私だけ呼び止められ、バスに乗ることを拒否されました。彼らは、矢継ぎ早に「情報機関の者だが、貴方は何故この国に来たのか」「仕事はなにか」「チケットの入手経路」「本を見ずに行きたいと思っている場所の名を言え」「なぜ、渡航期間が短いのか」と尋ねられました。ゆっくりと答えながら、「滑走路から強制送還されたらどうしよう」と考え込み、会社の名刺まで持ち出して必死に説明しました。10分程押し問答を繰り返した後、不審を取り除くことができたようで入国審査まで行かせてくれました。しかし、入国審査でもまた質問責めにされ、入国審査から数メートルのゲートを出てからもまた捕まった。今度は綺麗な若い女性2人。彼女たちも「情報機関の者です」と自己紹介してから、一度の愛想笑いもせずに厳しい質問を続けました。

 さすがにクタクタになった。正直、怯えていました。そして、空港ゲートからホールに出た瞬間、凍り付くほどの恐怖を覚えました。きっと彼女たちに脅され続けたからです。レンタカーを取りに行く最中も怯えきっていた。「ここは、イスラエルなんだ。保安の為に隠れている子供をも殺す緊張状態にある国に来ているんだ」。壁に父親と共に隠れていた子供が、軍によって射殺された映像が頭に浮かびました。全く笑わずに質問を繰り返す、極めてシリアスな人たちと対峙して、自分の甘えが浮き上がり、ホテルまでの道中は生きた心地がしませんでした。

 テル・アビブ市街のホテルに入って間もなく、バルコニーに出てはじめて落ち着きを取り戻しました。政治・経済・文化が集中するこの街でも、何度もテロが起こっています。先日もバスセンターで自爆テロが起こりました。それでも、賑やかな繁華街や人並み、列をなすタクシーに危機感が漂っていないことが分かりました。早速、部屋を出て食事に出掛け、夜の街を30分ほど歩いてみました。すると、怯えていた自分が馬鹿らしく思えてきて、ここに生きる人の顔を見ながら、緊張がまたほぐれていきました。

 ゆっくりとしている暇はありません。次の日の朝から、ナザレに向かいます。ナザレはイエスが育った街とも、生まれた街とも言われている場所。テル・アビブからは、ゴラン高原を目指して北上することになります。原始キリスト教団のことを「ナザレ派」「ナザレ人」と呼んだという記述がありますから、キリスト教徒にとっては古くから関連深い街です。この街を起点にして世界を席巻している巨大な宗教の原点に入り込んでいきます。


(妙深寺報 平成16年3月号より)