Introduction:
「天竺をば月氏という、我国をば日本と申す。一閻浮提八万の国の中に大なる国は天竺、小なる国は日本なり。名のめでたきは、印度第二、扶桑第一なり。佛法は月の国より始て日の国にとどまるべし。月は西より出でて東に向ひ、日は東より西へ行事天然のことはり、磁石と鉄と雷と象華とのごとし。誰か此ことはりをやぶらん」 (日蓮聖人御妙判)
この一節は印度の佛法が東漸し日本に至り、やがて日本の佛法が西漸して世界を照らすだろうと、日蓮聖人が御自ら法華経ご弘通の将来を祝福せられた御文である。醸造酒が蒸留酒に変わるように、佛法もまた発酵と精製を繰り返し、御仏の真意はようやく日蓮聖人によって開顕されたのである。
そして平成16年10月、福岡日雙上人に佛立教務数師が随伴し、遥か2500年の昔に釈尊が八ヵ年法華経を説かれたインドの霊鷲山にて、地元の人々と共に初のお講がつとめられた。
福岡日雙上人のご弘通ご奉公により、スリランカで繋がった一本の線が遠くインドの地に渡り、それは同時に久遠本仏から上行菩薩へご付属された釈尊の本懐、御題目のご信心が霊鷲山に帰るという歴史的瞬間であった。
霊鷲山。地元の貧しい村々から人々が集まり、釈尊の座られていた法座の御前に、開導日扇聖人御真筆御本尊を奉安し「インド開教」を言上。こだまする上行所伝の御題目。世に平和をもたらし、全ての人々の苦しみに光を当てる真実の佛教。これはゴールではなく新たなご弘通のスタートであり、ここに「佛法西漸の奇跡」が幕を開けたのである。