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  口は幸せの元

2007/6



 言っていることとやってること、考えていること。その三つが高い次元で一致した状態。その状態がブッダの「覚り」であり、私たち人間の目標ではないか。

 動物と同じように、何も考えず、本能のままに生きていれば、この三つが一致することはたやすい。思うままに思い、したいことをし、言いたいことを言えば良いのなら簡単な話だ。ところが、私たちは、「人」の「間」にある者となって、「動物界・脊椎動物門・哺乳綱・霊長目・真猿亜目・狭鼻下目・ヒト上科・ヒト科・ヒト属・ヒト種」に属する生物の一種「ヒト(ホモ・サピエンス)」から「人間」となる。だから、本能のままに生きるのは、聞こえは良いが実際は通用しない。そのように生きたくても難しいし許されることもない。人間となるために、人と人の間に入り、社会の中で揉まれれば揉まれるほど、苦しくなる、辛くなることもある。

 低い次元ではなく、人間としてより高い次元で三つを一致させること。それこそ、ブッダの教えるところである。

 しかし、「言葉」「行為」「思い」を一致させることほど難しいことはないだろう。思っているけれど言えない、やりたくもない仕事をしている、言いたくないことでも言わなければならない、あるいは、言われた、やられた、思われたと、様々な状況が自分の内外で起こり、三つはバラバラになってしまう。

 人間は、この三つがバラバラになり、折り合いがつかなくなると苦しくなる。そういう状態が長く、深く続いてしまうと壊れてしまう。その壊れていることを誤魔化して、何とか生きていくことも出来るが、辛く、虚しい生き方ではないか。もっと気持ちのいい、晴れやかな、いきいきとした生き方が出来るのではないか。この答えが仏教の中にある。それをお伝えしたい。

 うつ病を抱えた方々とお会いし、お話をお聞きしていると、彼らが正常で、私たちの方が異常なのだと思う瞬間がある。彼らは余りに純粋で、真っ直ぐで、素直なだけ。私たちは誤魔化し方を知っているだけなのではないか、と。

 現代の厳しい競争社会、複雑な人間関係、ニュースを聞いているだけでも気が変になりそうになる世の中で、彼らはバランスを失い、傷ついているように思える。

 虚実織り交ぜることが処世術であるかのような現代社会。「言葉」「行為」「思い」の三つをバランス良く保つことは誰にとっても至難の業のはずである。

 会社や学校に行くことも出来ず、言葉も上手に出てこなくなる状態。生活に支障をきたすような状態は、本人にとっても、家族にとっても苦しい。何としても御仏の教えを実践して、三つのバランスを取り戻し、高めてもらいたい。

「言葉」「行為」「思い」の乖離は、「心」にこそ病巣があって起こる。そう誰もが気づくだろう。実際、「心」のバランスが崩れ、理性と欲望、善と悪や正邪の折り合いがつかなくなり、三つのバランスは崩れてしまう。病理学的に見ても、仏教的に見ても「心」こそ根本で、「心」が病んでいるから、言っていることもやっていることも一致しなくなる。生活できなくなる。

 たとえ診断はそうであっても、「心」を治療し、何とかすることは簡単ではない。開導聖人は、

「人、一日一夜に八億四千万念の念慮おこるなり。その一念毎に信には信のひびきあり。謗には謗のひびきあり」

とお示しである。心は瞬きをする間に変化している。その「心」を、果たしてどうやって治療するのか。「心」が根本とは言っても、手の出しようが無いのが実際である。投薬によって脳内伝達ホルモンの分泌をコントロールしても薬への依存が残る。根本的治療にはならない。瞑想などによって、黙って、動かずに「心」を何とかしようと試みても八億四千万回もコロコロと移り変わるのが心なのだから、一向に効果は上がらない。厳しい社会に復帰するには、瞑想や禅で効果を上げることなどない。

 仏教的な治療の順序は全く逆だ。「心→身体→口」という悪循環は「口→身体→心」の順序によって改善し、治療し、より高い次元で一致することを目指すのである。

 心の特効薬とは「信じる心」である。バラバラになった心を一つに集約できるのは「信」である。誰も信じられない、自分すら信じられない、過去も未来も、現在も信じられない状態の時、まず心は四分五裂し、それに続いて言行も一致しなくなる。お祖師さまは、
「信の一字を詮と為す」
とお諭しになられ、人間の「心」の特効薬が「信」という心の働きにあることを明示くださった。

 その「信」を取り戻すことほど難しいことはない。黙り込んでも、座り込んでも、「信」は心に芽生えないし、根ざすこともない。
「信とは口唱なり」
との御指南は「口→身体→心」の順序を示されている。上行所伝の御題目「南無妙法蓮華経」を口に唱え重ねることによって、三つのバランスを欠いた悪循環から抜け出せると教えられているのだ。

 一般に愚かな人間の癖を捉えて、「口は災いの元」「舌根、斧を生ず」という。
 しかし、仏教的に言えば、「口は幸せの元」だ。口の中にこそ幸せの種がある。

 心には計り知れない力がある。心に思ったことは必ず実現する。しかし、その思いの強さにもよる。心はコロコロ。なかなか続かない。思いと行動と言葉は一致しにくい。なんと言っても八億四千万回もの念慮が次々に起こるのだから。

 では、どうするか。その答えが「口」「言葉」である。言葉にして、行動して、バラバラになりやすい心を従えていくことが心の巨大なエネルギーを引き出す方法なのだ。

 まず、口にする、言葉にする。「有難う」「幸せです」「助けたい」「こうなりたい」「なれますように」と生活の中で語り、御祈願として御宝前に言上し、御題目をお唱えして、身体、心の力を一つに集約する。さらに大きな目標を立てて、「弘通の器となさしめ給え」と声に出してみる。「ご弘通の器」とは、御仏と一体となって人々を救う菩薩なのだから、最も大きな人間の「器」である。それを口に出し、御題目を唱え、行動を積み重ねていけば、自然に人間として器は大きく広がり、高い次元へと成長を遂げる。バラバラになった「自分」が高い次元で結合する。

 苦しみや悪循環に陥っている人。口は幸せの元。そのことを信じて、実践してみてもらいたい。必ずや悪循環から抜け出せるのだから。



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