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  プラスとマイナス

2006/8



油断も隙も無い世相。うっかりしていると出し抜かれる。勝つか負けるか。やるか、やられるか。日々厳しさを増す競争社会の中で、心は頑なにならざるを得ない。

 競争社会の最前線では、危機やチャンスを機敏に察知することが求められる。強さやしたたかさ がなければ生き残れないという。損か得か、メリットかデメリットかを追求することが、自らを守り、成功を手にするための必要条件であることを思い知らされている。ビジネスに限らず、私たちは一円でも得をしようと努めている。

 この社会の中に生きていれば、誰もが自然に身につけていく能力。損を退け、得を追い求める処世術。ところが、ほんの些細な出来事で欲望が暴走し始めると、この損得勘定が狂いだして、損を遠ざけて、少しでも得をしようと努めていたのに、結果として得を遠ざけて、損する生き方に陥ってしまう。

 欲は、一概に悪いものではない。欲があってこそ生きる張り合いも生まれ、喜び溢れた人生となる。何より、欲があるからこそ、人の為に生きる道にも進めるし、活力も涌いてくる。

 辛いよりは楽な方が良い、汚いものより綺麗なものが良い、地位や名誉も無いよりあった方が良い。そう思うのも一概に悪いことではない。しかし、人生本来の目的を見失い、欲望だけに囚われれば、得をするどころか、達成感も満足感も永遠に訪れないに違いない。

「苦を以て苦を捨てんと欲す」

御仏は法華経方便品に説かれた。新しい苦しみの種を持ってきて、今の苦しみの芽を摘もうとしても幸せになれない。次の悩みの種が増えていく悪循環である。本当に自分のプラスとなり、マイナスとなってしまうことの判断を誤ってはならないと説かれている。目先の損得勘定では見誤ってしまう。

 目先の損得勘定とは、短絡的なプラスとマイナスの計算ではないか。損か得か、プラスとなるか、マイナスとなるか。この選択肢は連日連夜突きつけられるが、実に見誤ることが多いのである。

 自分にとって都合の良いことはすぐ手にしたくなるが、手にした後で都合が悪くなることがある。ビジネスでもスポーツの世界でも 普遍的な法則とは、

 《プラスの次はマイナス》
 《マイナスの次はプラス》

というシンプルなものである。

 最初にプラスを取ってしまえば次に来るのはマイナス。マイナスを最初に取れば、次にはプラスが訪れる。コツコツとした練習など誰もしたくないが、このマイナスを取るから結果がプラスになる。何の仕事もしていないのに豪勢な接待などを受けてしまえば、自分の首を絞めることになる。最初のプラスは、次のマイナスである。

 欲望が目を眩ませ、視野が狭くなれば、得てして最初にプラスを取ってしまい、結果がマイナスということを繰り返すようになる。誰もがプラスを追い求めるのだが、プラスを得るための順序を見ずにマイナスを嫌ってばかりいては、永遠にプラスは巡ってこなくなる。だからこそ、最初にマイナス(損)を取っても、必ず得(徳)になると信じて生きることが必要なのだ。

 信心修行とはこの生き方である。それは功徳を積む生き方であり、最初にマイナスを取っても、必ずプラスに変わっていく、プロセスを大切にする生き方のことである。幸福に至るための、忘れてはならない法則を教えていただいている。

 開導聖人は、
 あさましや
  身に添ふ徳を嫌ひ捨て
   迷ひの欲にひまあせるかな
と御教歌遊ばされている。

 このご信心にお出値いしても、プラスとマイナスの選択を間違い、目先の損得勘定を優先して、功徳の積める生き方から脱線することがある。千載一遇の大チャンスを台無しにしてしまうことになる。それを「あさましい」=「余りに酷くて見るに耐えない。あきれる。情けない」と仰っている。哀れであるとお示しなのである。

「良薬、口に苦し」「金言、耳に逆らう」という。良薬は口に苦く飲みにくい、「金言」という御仏の教えも耳に入らない、入ってもうるさく聞こえる、素直に行動に移せない、生来受け入れ難いものに違いないという。

 しかし、そうした環境や性質を持ちながら、苦い薬を口に入れ、逆らう教えをいただいて、いわば奇跡的に、功徳の積める生き方を歩んでいるのが私たち佛立信者であると教えていただくのである。凡夫の損得勘定から抜け出して、真に「徳(得)」を得る生き方に目覚めた方々ではないか、と。

 そうであったにもかかわらず、自分だけのプラスを追いかけ回し、最初にプラスを取って、後でマイナスに苦しむような迷いの生き方に逆戻りしようとする。これを、「情けない」とお示しなのである

 いまの世相からすれば、信仰を持って生きることを理解する人は少ない。朝参詣にしてもご奉公にしても、人のためにする菩薩行もご有志も、朝夕のお看経ですら、末法に生きる普通の人からすれば、何とも面倒で、時間の無駄のように見える。「もっと楽な生き方がある」「自由に生きれば良い」と、常に誘惑がつきまとう。しかし、ここで迷えば悪循環に戻るだけだ。

 開導聖人は、簡潔に、
「顛倒(てんどう)の凡夫、損と思ふことは 徳也。徳と思ふことは損也」
とお示しになられておられる。

 プラスとマイナスの、どちらを最初に取るか。視野の狭い凡夫はパッとプラスに飛びつきたくなる。しかし、損得の捉え方が得てして逆になると注意を促されている。

 仕事をしていた時から、仲間とはいつもこうした話をしてきた。来月の給与が支払えないような、厳しい状況もあった。利益を追求するビジネスの最前線で、プラスとマイナスの選択を迫られた時、「まず負を取ろう」と励まし合い、楽な道を選ばず困難な道を選べた。ご信心のお陰としか言えないが、振り返れば結果として売上も信用も増していった。夢のような話と思われるかも知れないが、事実である。悪いことが起こっても、「良い負を取った」と笑い合い、むしろマイナスを喜び、改良して前向きに仕事が出来た。そうした明るい仲間が、一緒にご信心してくれるようになったことが有難い。

 自分のエゴや欲、目先の損得、思い上がりや思い込みの激しさで、功徳が積める生き方から外れてはいけない。マイナスも厭わない。必ずプラスになる。苦行ではない。幸せへの道、プロセスなのだから。



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