(中略)
ですから、必要なのは信仰です。決して難しいことではありません。
信仰など、自分には関係ない、必要ない、と考えているかも知れませんが、それこそ間違いです。あなたが感じている不安な気持ち、物足りなさや苛立ち、焦りや嘆き、哀しさも、信仰の無い生き方から生まれているのではないですか。答えが目の前にあるのに、答えを見ようとしていない。目を逸らし、耳を塞いで走っている。
目を持っているからといって、全てが見えるわけではありません。多くの人は自分が見たいと欲することしか見ていませんし、聞いていません。取り返しも、後戻りも出来ないほどの悪循環に陥るのも、全て自分が選んできたのですから。
いま心機一転して、信仰の門に入れば、必ず道が開けます。光りも射してきます。本堂にお参詣し、御題目をお唱えしてみてください。
(中略)
普通、私たちは十年前の今日の夕食など覚えていません。最近は物忘れがひどいと嘆いている人も、簡単な催眠で、メニューや同席者を答えられるから不思議です。
私たちは、意識の上では忘れていると思い込んでいることでも、巨大な蔵のような無意識の世界に、思いや行動、全ての情報をしまい込んでいます。忘れたから良い、誰も見ていないから大丈夫だろう、ということが如何に愚かなことか。ですから、仏教では、罪を犯して罰するのは、検事でも神でもなく、自分自身だというのです。自分が見ているから恐ろしい。これこそカルマ・業です。その根本にある、普遍の法に基づく功罪です。
米国ヴァージニア大学から出版されたイアン・スティーヴンソン編「前世を記憶する子どもたち」や年齢退行催眠実験のレポートを見るまでもなく、無意識の領域に蓄積されたカルマとは、この一生の間だけではありません。生死の壁を超えて離れないものです。
運が良いとか悪いとか、占いや厄年などに振り回されていることこそ愚かで無意味です。ジンクスを破ったから不幸になったのではありません。現在の境遇は、自らの業、カルマでしょう。ですから、運に恵まれようと思えば、普遍の法に従って、今から最良のカルマを作るしかありません。
しかし、積み重ねてきたカルマとは、恐ろしく膨大な量なのです。御指南に「人間は一日に八億四千の念慮が起こる」と云われており、その一瞬の「一念」には「三千」の要素が含まれていると説かれているのが法華経の教えですから、想像を絶します。
御題目のご信心は、このカルマを能く転じて、膨大な無意識の 海に沈む、悪しき因縁を断ちます。必ず実感できるはずです。
(中略)
信仰と聞けば、馬鹿げた話だと後ずさりする人もいます。きっと信仰を持ったら自由で柔軟な判断が出来なくなると思っているのでしょう。しかし、そうではない。信仰は、本当の意味で広い視野と深い洞察力を与えてくれます。
信仰には四つの形があります。一つは正法正信、第二に正法邪信、第三に邪法正信、最後は邪法邪信。正しい法を正しく信じる信仰から、正しい法を正しく信じられない人。正しく無い法を正しく信じている、正しくない法をいい加減に信じる、という四つ。ちなみに、無宗教者は信仰を持っていないのではなく、自分や科学を信じてそれを宗教に置き換えているだけです。人生の普遍的な問いに答えられるのは、正しい法です。その正しい御法を信じることが大事だと私は言っているのです。間違っているならば、信じるのを止めなさいと言います。
そして、宗教を選択する際には、三つの定規を当てて考えなさいと日蓮聖人はお諭しになりました。それは「道理証」「文証」「現証」という三つです。道理に適わない、「動物や陰部が本尊」「お金が全て」などの教えであれば、正しい宗教ではありません。また、同じ仏教でも御経文に裏付けがなければ、文証が無いということで、仏教ですらないということになります。最後の現証は、その宗教が教える修行をして、確かに得られる証拠、証明があるかどうか。
この三証は、非常に重要です。仏教では業力に代表されるような超能力の存在を認識していますが、同時に、それだけでは幸せになるどころか逆に不幸になるということも説かれています。道理に外れ、文証も無いのに、教祖の超人的な神秘性だけを信じて不幸に陥る人が多い現状は、残念でなりません。
私たち本門佛立宗は、政治的な活動もせず、宣伝もしないために大きくはありませんが、この三証に符合する信仰です。葬儀や回向だけをするお寺ではなく、生きている人々に、御仏の教えを説く、本物のお寺が佛立寺院なのです。
昨年だけでも「現証」御利益をいただかれた方は数知れません。肺ガンだった松本将義さん、鈴木久子さん。甲状腺ガンといわれた瓜生園子さん、小菅久美子さん。家族の幸せという御利益に喜んでいる方々は数え切れません。
宣伝に載っている虚偽の体験談などではありません。本門佛立宗の現証御利益は、追跡調査をするまでもなくお寺に参詣さえすれば、必ずご本人にお会いできます。
(中略)
嘆いてばかりいても駄目です。こんな世の中にしている加担者は、私たちではないですか。私たちがその重たい腰を上げて正しい行動をすれば、子どもや孫に安心して手渡せる世の中になるのではないですか。家の中で安閑としていて、御仏の教えにも耳を傾けなければ、次々に起こる事件や事故の加害者と同様だと説かれています。誰も子どもや孫が恐ろしい世界に住むことを望んでいないはずです。
耐震強度偽装からライブドアの問題やホテルの不正改造、紛争や戦争も問題の一端です。問題は、私たちがこうした社会を容認してきたということです。年金問題も増税もイラク派遣も、全て私たちの選択であり責任です。この瞬間にも誤爆で無垢な人々が殺されています。「自国民の生命と財産を守る」という大義の前に「だから他国民の生命と財産は守らなくて良い」という本音が隠れています。仏教以外の価値観では、何度戦争を繰り返しても人間は成長しない。生命の重さに違いはありません。世界も日本もどうかしています。
ですから、あなたに必要なのは、正しい信仰です。決して、難しいことではありません。信仰を得ることから全てがはじまります。
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