夏になると薄着になるせいか、自分の体型を気にする人が増えると言います。テレビや雑誌等でも、話題の中心はいつも「美と健康」。世の人の最大の関心事ということは間違いなさそうです。食材からサプリメント、健康法や美容法、ダイエットなどは、誰もが身近に感じていることですから、今回はこの話題に関連したことを書いて、みんなに読んでもらおうと下心を働かせました。題して、「仏立式ダイエット」です。「フランス式」ではないので、悪しからずご了承ください(笑)。
過去のことだと笑われようが、元プロスポーツマンです。体力や健康には自信を持っていました。少々無理を重ねても自分は大丈夫だと安心していましたし、目標も持たず、自分の健康や外見ばかりを気にして生きている人など嫌いでしたし、休まず走り続けることが一番だと思っていました。
ところが、17年前はスポーツマンでも、今や不摂生がたたり、体重は20キロ増え、内臓脂肪、体脂肪も悪い数値。新しい体重計では、母の体年齢が54才で、私の年齢が52才。笑い話ではありませんが、これは生活習慣病になる一歩手前だったのでした。
この春、色々なご奉公が重なり、体調を崩してしまいました。過労や心労だと言って下さる方もありましたが全くそうではないのです。自己管理の甘さだと痛感しました。いつも因果を説いておきながら、自分の生活態度だけは因果の道理から外して考えていたのです。
摩訶止観には、病気になったり、体調を壊す原因に六つ挙げられ、
一、四大(肉・血液・体温・呼吸)順ならざる故に=身体を維持するための調和が破れて病気になる。
二、飲食節ならざる故=食べ過ぎ飲み過ぎ、飲食の節度が失われて病気になる。
三、坐禅調わざる故に=心が煩悶して落ち着かず、病気をおこす。
四、鬼による。
五、魔による。
六、業が起こる故に=この起業が結論で、病はこの6つが重なり起こる。
悪鬼や悪魔も退散する御題目のご信心に安心していてはいけない。身体健全をご祈願していながら、努力しないで不摂生を重ねるなど、全く御宝前に申し訳ないことです。ここでようやく気づけたのです。私の場合、特に2番目にある飲食の節度について考えるところから仏立式ダイエットが始まりました。
自分の考え方、行い方の何かが間違っている。きっと自分の中の固定概念を変えなければ、生活の習慣など変わるわけがないのです。しかも、単純に健康の知識や苦行や戒律のような節制のもとでは、続かない。ここまで考えて「あぁ、ダイエットも、佛立宗のご信心で教えていただく通りにすれば良いのでは」と思ったのです。
どうせなら、健康になるためのダイエットを徹底してご信心的に考えてみようと思い立ったのです。そして、これが見事に的中して、2ヶ月半で体重は12キロも減り、体脂肪は10%以上も減ることになったのでした。私としては無理なことをしたつもりもなく、本当に不思議に良くなってゆきました。
最初にしたことは、迷信や謗法を払うつもりで、根本的に大切なこととそうではないことを分けてゆきました。自分の頭の中にある余計な知識や、自分の周りにある枝葉末節の知識に基づいたモノを捨てようと決意しました。
迷信とは半ば冗談のようですが、「私は水を飲んでも太る」「空気で太る」ということなどでしょう。「同じものを食べても、あの人は痩せていて、私だけ太る」などというもの。突き詰めて考えれば、「太る体質」「遺伝的に太りにくい」という説も、家庭に伝わる食生活や料理の献立などが原因という説の方が有力ですから、忘れた方が良いと考えました。
誇大広告ばかり、業界や団体と結びついた番組企画も多く、健康に良いとされる食材や商品の情報が次々に出てきて、結局は「試し続けて、迷い続ける」ということにもなりかねないのです。
シンプルに立ち返るという佛立信心の真骨頂です。迷信を捨てて、ただ一つの法に立ち返る、特殊な事例に右往左往するのではなく、その中から普遍的な真理を探す。その真理を信じ、行じる、続ける、ということしかないのです。
たどり着いた答えは、「食べた分だけ動くこと」という、非常につまらない、誰でも知っている、ごく当たり前の答えになりました。ただ、豊かで便利すぎる世の中で、この答えに即した生活をすることを忘れたり、規則正しい生活を、「しなくても良い」と呼びかけるコマーシャルや商品に迷わされてしまうのでした。
「飲むだけで痩せる」という商品などを手にする以前に、「動いて消費されるカロリーより、過剰にカロリーを摂っているから太る」ということだけを考えた方が良いとやっと気づけたのです。以前はたくさんの健康グッズに囲まれていたのですが、それ以上に大切なことを忘れていたのです。因果の道理そのものなのでした。
「○○週間で○○キロ痩せた」と、期間や目標体重を設定することも意味がないことでしょう。身体に悪い肥満は、体重ではなく体脂肪、その体脂肪は徐々にしか落ちない。体脂肪の無い人には関係ない話?
ダイエットや健康を考えても、仏さまの説かれた筋、因果の道理、佛立信心に照らして考えてみる。迷っているのは、情報過多の中で、正しい判断力を失う私たちです。
開導聖人の御教歌に、
貪欲の貪という字がもろもろの
苦のたね也と説せたまへり
とあり、悪いのは「欲」ではなく、その上の「むさぼり」で「過ぎる」ということを「幸せ」だと勘違いしてしまう私たちの癖のことです。その癖こそ、苦しみや不幸を生み出す最大の原因だとお示しです。
ダイエットでは、「食べること」自体をダメなことだと勘違いする人がいますが、「食べること」は良いことであり、必要なことです。悪いのは「食べ過ぎること」だけ。
野生の動物に太り過ぎはいません。全て環境や気候に即した体型です。人間とペットだけが、肥満という問題で体調を崩してゆくそうです。結局、「過ぎる」ことが幸せだと勘違いする癖があるからでしょう。
全く書き足りません。まだまだ仏立式ダイエット、仏立式健康法の秘訣があります。身体を動かす時間の作り方、お供水を頂くこと、健康のご祈願も欠かさず、何より自分の健康は全て菩薩行のため、という素敵な目標も欠かせません。菩薩行の為に健康が必要なのです。
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