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  信ずること能(あた)わじ

2005/2



 その情景を思い浮かべながら、2500年以上前の御仏と御弟子、ご信者方に思いを馳(は)せてゆきます。霊鷲山(りょうじゅせん)を訪れて以来、ただ情景を思い描きながら法華経二十八品を拝見し直すことに努めてみました。

 それまでの私といえば、論理的に解釈しようと努めたり、煩瑣(はんさ)な教学(きょうがく)として語句を追ってみたりと、とても雄大に展開していく法華経の法座の隅にいる「ひとり」には成り得ていなかったのが現実です。それこそ、お祖師さまがお諭しの、「法華経を余人(よにん)のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず。心はよめども身によまず」の「余人」とは私のことではないか、と反省しきりです。

 御題目口唱、教化折伏の菩薩行こそ「身に読む」ということですから、特に御経を拝見する必要はありません。しかし、蓮隆扇三祖一轍(いってつ)のご信心の尊さ、深さを改めて思い知らされるのでした。

 法華経の序、御仏は三昧(ざんまい)のまま、第二章の方便品(ほうべんぽん)まで黙されておられます。参集した聴衆は、瑞相(ずいそう)に胸を躍らせながら「合掌して一心に待ちたてまつれ」とのご案内に暫(しば)しその期待を押し止めています。 

 数多くの経文が弟子の問いから始まるのに対して、法華経は御仏自ら御口を開かれます。ところが、その内容は自問自答をされているかのように難解でした。そして、また口を閉ざされます。

 想像してみてください。霊鷲山の緩(ゆる)やかな坂の下から御仏を拝し、不可解な状況に顔を見合わせる。人々の困惑を察して、筆頭弟子の舎利弗(しゃりほつ)が御仏に御法門を度々懇請(こんせい)しますが、御仏は頑(かたく)なに止めます。

「舎利弗よ。その訳(わけ)を話して何になろう。その訳を説明すれば神々も人々も恐れおののくであろう。そして、僧たちはうぬぼれの心を起こして、大きな穴に落ち込むであろう(原典口語訳)」

 緊張も頂点に達した三度の懇請の後、漸(しばら)く御仏が決意されました。しかし、同時に5000人の僧や尼僧や男女のご信者が、自惚(うのぼ)れの心を起こし、御仏にご挨拶をした後に席を立ち、霊鷲山を去ってしまう。それを御仏は黙ったままお許しになったと書かれております。以後数千年語り継がれる貴重な御法門を聞き逃す人々がいたのです。

「退くもまたよし」と御仏は退席する人を制止せず、むしろ歓迎をされています。大慈大悲の御仏が、このように厳しい態度を示される理由は、すぐ後の衝撃的な内容で思い知らされることになるのです。

 私が最も衝撃を受け、胸を締め付けられるお言葉。それは、御仏が赤裸々に「さとり」を得たその後の御心を明かされた部分です。菩提樹(ぼだいじゅ)の下、真理を得られた御仏が、自ら思惟(しゆい)されていたこと。

「我は寧(むし)ろ法を説かずして疾(すみや)かに涅槃(ねはん)に入らん」

 このお言葉は、心に突き刺さる。一般的に、御仏が釈迦族の王子と生まれ、栄耀栄華の暮らしを捨て、出家されたこと。苦行を数ヶ年間続けられたこと。そして、菩提樹の下で悟りを開かれたことなどは知られています。悟りを開かれた直後、有名な「四苦八苦」を含む「四諦(したい)の御法門」が説かれ、華厳経(けごんきょう)、阿含経(あごんきょう)、方等経(ほうとうきょう)、般若経(はんにゃきょう)などが説かれ、最晩年に法華経(ほけきょう)、涅槃経(ねはんぎょう)が説かれた事も知られています。しかし、多くの人が御仏の御心境を窺い知ることはなかったのです。

「余は、さとりの壇上に三七日(21日間)を満了するまで留まり、そこにある樹木を見上げつつ、実にこのようなことを考えたのであった。余は、かの樹木の王をまたたきもせずに凝視し、その下を歩きまわった」

「余がさとりの功徳を語っても、この人々は苦悩に打ち負かされている。愚かなかれらは余の教えを捨てよう。かれらは、余の言葉を捨てて、不幸の土地に行こう」

「何も語らないことが一層よい。今日こそ、余は安らかな、平安な境地に入りたい」

 しかし、その思惟の後、御仏は信じることの出来ない人々の為に、意を決して教導を決意されます。苦悩の後、様々な方便(ほうべん)を駆使したご教導をお始めになったのです。

 以後四十有余年、この法華経の法座に至るまで、その真意が明かされることはありませんでした。今、癒しを求めて般若心経の写経が人気と聞きましたが、全く御仏の真意を無視しています。法華経に示された赤裸々なお言葉を知れば、法華経以前の経文は池に映る影。法華経からこそ、御仏の御本意が見えてくるのです。

 苦渋(くじゅう)の思惟の後に踏み出された最初の御法門は「四諦の御法門」。「諦(たい)」とは今や「諦(あきら)める」という時に使いますが、本来は「真理を明らかにする」との意味でした。「私たちはどのようなことに苦しむのか。何を苦しんでいるのか《苦諦(くたい)》」「その苦しみの根本にはなにがあるか《集諦(じったい)》」「苦しみが取り除かれた状態とは《滅諦(めったい)》」「苦しみを滅するための方法とは《道諦(どうたい)》」という四つの法は、仏教の根本教理といわれ、小乗仏教をはじめ、あらゆる仏教教理の中に含まれています。理屈ではなく、それは一人の人が悩みを抱えている場合でも、必ず活用出来るのが「苦集滅道(くじゅうめつどう)」の教理。「何を苦しんでいるの」「苦しみの原因は何なの」「苦しみが無くなればどうなるの」「そのための方法は」と、過去から現在まで、あらゆる人にとって当てはまる尊い教えです。

 しかし、この御仏の初転法輪(しょてんぽうりん)も、法華経本門の御法門から拝見しなければ声聞という特定の人の為の教えとなり、現代には通用しない。御仏が「我は寧ろ法を説かずして疾かに涅槃に入らん」という葛藤(かっとう)を赤裸々に述べた後の御法門で、はじめて方便を取り除いた真実の四諦の御法門も見えてくるのです。

 私たちの人生の苦しみには多くの共通項があります。四苦八苦は最たるもので、生老病死は勿論、愛する人との別離、憎しみや妬みを内包する人間関係、欲望が満たされない苦しみなどは共通のものです。

 その原因を辿れば人のせいでなく、自らの罪障(ざいしょう)という業(ごう)が明らかになり、その奥には宇宙の真理から切り離れて存在をしてきた「謗法(ほうぼう)」という罪があると気づく。そして、苦しみの絶えた状態とは大慈大悲(だいじだいひ)の菩薩心(ぼさつしん)で満たされ尽くした状態。苦しみから抜け出して生きてゆく道とはご信心、御題目口唱に徹し、教化折伏の菩薩行に努めること。これが御仏の教えの真理です。

 ここに足早に書いて分かるお話ではありません。しかし、これが仏教の核です。先の御言の直前に、
「衆生苦に没在(もつざい)し、この法を信ずること能わじ」とあります。躊躇(ちゅうちょ)された訳は、私たちがこの教えを信じられない性質だからなのです。



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