毎日、自宅の御宝前(ごほうぜん)に向かい、ごあいさつできる私たちは、どれだけ幸せでしょう。
本門佛立宗のご信者は、御本尊(ごほんぞん)を奉安(ほうあん:お祀りすること)し、久遠本仏(くおんほんぶつ)の住まわれる館として御戒壇(おかいだん)を護持(ごじ)しています。「御宝前」は、そうした大事大切な場所の尊称です。御宝前こそ、先亡の家族と向かい合う窓であり、家族の心を映す鏡でもあり、家族をご守護くださる諸天善神が集う聖地であり、修行を行う道場です。店先で販売される仏像などと比べようもありません。家族がそろって敬えば、必ず現証(げんしょう:信仰の証し)が顕れます。
しかしながら、その尊い御宝前を頂きながら、実感も敬いも無く、御題目口唱もできなければ、家に隙(すき)が生じて貧乏神・疫病神・死神が出入りし、家族の結束も緩み、心も磨けず、お守りやお導きさえ頂けなくなります。
家族がそろってお看経できることこそ、佛立信者の至上の喜びです。
私の生涯忘れられないご奉公の一つに、長野のお助行があります。そのご奉公で私は、御題目の尊さと御宝前が奉安できる幸福を痛感しました。
アパレル関係の会社を経営する小泉正太君は、永年の海の仲間で、私の大親友です。その彼から突然連絡があり、共通の友人の妹さんが「狂った」「助けてやってくれ」とのことでした。
話を聞くと、事の発端は、まずお母さんが二十人分くらいの食事を作った。それを家族が食べようとすると「毒が入っている!食べちゃ駄目ー!」と叫んでテーブルをひっくり返す。夜になると、他人の玄関先に食べ物を置いて廻るようになった。それで病院に入れた。続いて、当時二十二才だった妹が変になった。目鼻立ちのしっかりした美人の彼女でしたが、やはり食事中に、白目を剥いて後に倒れ、「熱いー」と喉を掻きむしる。
実家の長野での出来事ですから、驚いて近くの悪魔払いで有名なお寺に駆け込んだそうです。僧侶から「家族に七霊憑(つ)いている」と言われ、お祓(はら)いをした。すると、不思議なことにフッと目が覚めた、抜けた、と。続いて「一霊十万円、七霊で七十万円」と言われ、それを払った。しかし、二週間後また同じようにおかしくなった。またそのお寺に行った。今度は「三霊です」と言われ、三十万円払った。二週間後にもまた発作が起きた。今度は「家が悪い。土地も悪い。家に祠(ほこら)を建てなければダメだ」と。その石の祠代が三十万円、中身のご神体が三十万円、合わせて数百万円の出費。「これじゃ破産だ。何とかしたい」という所で友人の正太に相談し、「長松に聞こう」と連絡が来たのです。事情を聞き、「ウチではご信心さえすればタダだよ。お助行(じょぎょう)をする」と答えて、ご奉公に伺うことになりました。
最初に妙深寺に来た時、横浜国立大学の大学院で心理学を専攻している小林信翠師にも同席してもらいました。一見すると今時の綺麗な女性と変わりはありませんでしたが、眼に力がありません。話を聞いた後に「御題目をお唱えしてごらん」と言うと、「ナー」と言ったきり続きません。「まんが日本昔ばなしでも言える。唱えられない人などいないよ」と言っても唱えられませんでした。結局、彼女の手帳に御題目を認(したた)め、フリガナを書いて、ようやく読めたのでした。
とにかく、若い教務や青年会の子を連れて長野までお助行に行くことになりました。実際のところ不安もありましたが、日歓上人の大御本尊をお持(たも)ちし、開導聖人の御指南を頼りに向かいました。
彼女の実家に着き、お父様から因縁の深い土地であると説明され、先述の祠は勿論、神棚からお守りまで、段ボール二箱分の種々雑多な神仏をお預かりし、大御本尊を床の間にお掛けしました。彼女に、「私たちは霊媒師でも超能力者でもないよ。僕たちは君の御題目の声を隣で助けることしかできない。『妙の利剣』といって、君自身が御題目を唱えて、得体の知れない悪縁を断つんだ」と話しました。
御宝前への言上は、開導聖人の「蛇といふものたたりをなすとの事」という御指南を頂きました。他の霊媒師が「出て行けー」等と絶叫するのと異なり、真実の仏教では、群霊にすら「抜苦与楽(ばっくよらく)」を示し、本門の御題目へ帰信を促すということを知りました。
本人は御本尊の前に、私たちは彼女を囲むように、ご家族は後に座っていただいて、約三時間半のお助行をしました。暫くすると、彼女が頭を振りながら耳を塞いで前に倒れました。泣いているのが見えました。私たちも「ギョッ」としましたが、本人が戦っているのだと肝に銘じて、必死に御題目をお唱えしました。か細い御題目が聞こえ、彼女はゆっくりと起きあがり、最後はみんなでキチンと御題目をお唱えできました。
その夕方、彼女の部屋に御本尊を奉安し、「毎日、お水をお取り替えすること。御宝前に向かって、朝に夕に御題目をお唱えしなさい。必ず守ってくださる」とお話しました。そこで、先ほどの耳を塞いだ理由を聞きました。あの力強い大御本尊の文字が「パッ」と消え、真っ白くなって私たちの御題目が聞こえなくなった。そして、耳元で変な声が聞こえて、「止めて!」と耳を塞いだというのです。
「イヤだ。イヤだ」と頭を振り、耳を塞いでいるうちに、遠くから私たちの御題目の声が聞こえた。そして、自分で御題目をお唱えし、恐る恐る目を開けてみると御本尊が元に戻っていたので安心したと。これぞ「お助行」という話でした。当然ながら、二週間で再発することはなく、今では結婚をし、子供三人に囲まれて幸せに暮らしています。立派なお母さんになりました。
御宝前のある家は、諸天善神(しょてんぜんじん:法華経守護の神々)に護られています。正しくお給仕し、御題目を怠らず、正しく心を映し、家族一同が心を磨き、常に改良を心掛けていれば怖いものなどあり得ません。それこそ修行であり、先祖回向であり、自分の、家族の祈願となるのです。
忙しい毎日の中で、出掛ける時、帰宅した時、御宝前にご挨拶する。朝夕に御題目をお唱えする。夫婦で時間を合わせて御宝前に向かう。家族が揃って御題目をお唱えする。家に御宝前がありながら、それができなければ、それこそ宝の持ち腐れであり、もったいないことです。
単なる仏壇でも家具でもない、「御宝前」としての敬いをさせていただければ、幸いは列を為して訪れるに違いありません。正しい修行は、まず自宅の御宝前から。
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