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  世界に一つだけの花(門祖会を終えて)

2004/04



 イタリアやスリランカの方々の純粋なご信心の姿に、譬えようのない感動を覚えました。妙深寺の門祖会にお招きした神戸香風寺の福岡御導師の御法門は、私たちの頑迷(がんめい)な心にも水のように広がってゆきました。そして、遠くローマからお招きし、お越しいただいたバレンティーニご夫妻のお話、フィレンツェでの御講風景やビデオメッセージは、気づかずにいた大切なものの存在、忘れかけていたご信心とご奉公に対する喜びを思い起こさせてくださいました。

 私自身、どれだけ喜びをもって純粋に御題目が唱えられているのだろうかと、不純な自分の信心前を恥じていました。頭でっかちになり、簡単なことを複雑にして、二代目特有の疑い深さが手伝って、御仏(みほとけ)の心から、遠く離れていたのではないかと恐ろしくも感じました。「喜びと敬いの心」。シンプルで、純粋な御本意(ごほんい)を忘れていました。

 イタリアからのビデオレターは、「うれしい」、「幸せです」という言葉に溢れていました。御題目をお唱え出来ること、真実の仏教、本門佛立宗の教えに出逢(であ)えたことを喜び、その喜びをエールとして私たちに送ってくださいました。

「私たちには言葉の壁があるから、本当の気持ちが伝わらなかったのではないでしょうか。私は、この信仰に出会い、御題目をお唱えすることによって全てが変わったのです。カルマが変わり、考え方や性格、人生や未来までが変わった。このことをもう一度伝えたい」とマッシー(マッシミリアーノ・バレンティーニ)氏は話してくれました。翌日、御法門台の横に立ち、話をする彼の姿に心を打たれました。その純粋な姿こそ忘れかけていた大切なものを教えてくれるのです。

 ご信心を相続した者は、稀有(けう)に思うでしょうか。なぜ彼らは喜び、なぜ幸せだと言えるのでしょう。私たちは考えなければなりません。

 小学生の頃、他宗のお寺の息子がクラスの中にいました。秀才でスポーツ万能、素晴らしい男の子でした。子供ながら、私は不思議な疑問を持ちました。「天台宗のお寺の子供ならば天台宗を信じて、僕は本門佛立宗だから本門佛立宗を信じる。それでいいのかな」と。中学生になると、そうした疑問はより具体的になっていきました。片思いをしていた女の子から突然電話があり、「長松くんにだけは地獄に行ってもらいたくないの。あなたのお寺は間違っているの。横浜ドームで創価学会がやる大会があるから一緒に行かない?」と言われました。そこまで言われて黙っていられないと勇んで行ってみようとしましたが、当日四十度の熱を出して行けなくなりました。御法さまのお導きを感じましたが、世の中の数ある宗教宗派を知れば知るほど、私は自分の家の信仰について更なる疑問を抱きました。

 私が一番恐れていたのは、一生をかけて多くの人々に御仏の教えを説いたとしても、自分が死んだ後にエンマ様の前に行った時に、「お前は一生懸命やってきたようだけれど、実はお前の言っていたことは間違っていたのだ。クラスメイトの子の宗派が正しかった。残念だったね」と言われてしまうことでした。小中学生の頃の幼いですが純粋な悩みです。そうした疑問が、本門佛立宗の教えや信仰に対して私の心を斜(しゃ)に構えさせて、いつも粗を探しては両親に食ってかかるのでした。

 素直にご信心を相続されている方にはピンと来ないと思いますが、私の青年時代はこのような疑問が付きまとっていました。しかし、父は丁寧(ていねい)に私と向き合ってくれていました。決して「いいからやれ」というようなことは言わず、私の疑問に答えてくれました。様々な出来事、明らかに御法さまのお力、御利益と感得することがあっても、素直に御題目をお唱えする、純粋に喜ぶ、ということが出来ないでいたと思います。

 形は出来ても、心から随喜する為には「きっかけ」や「働きかけ」が必要です。私は本山で御導師方から教義を学んでも、どうしても斜に構える癖が抜けませんでした。

 そんな私を変えたのは、やはり先住が遭遇された不慮の事故で、桜満開の四月のことでした。病室の外にツバメが飛び交う五月までの間、はじめて御宝前に正面から向き合うことが出来ました。本堂のお助行から戻り、自宅の御宝前に座って御題目をお唱えした時、子供の頃から「言われたから座る」「何となくやってる」という感覚ではなく、何かはじめて正面から御宝前に向かい、御題目をお唱えしている自分を知りました。その感覚は今でも忘れられません。

「教務はご信者から教えられる。随喜の声で信心を学ぶものだ」と先住日爽上人が仰(おお)せの通り、その後も数え切れない方々からご信心の実践、生きておられる御法さまの証(あかし)、素晴らしい御利益と喜びを教えていただき、御法門の実証を何度も感得させていただいてきました。

 福岡御導師の御法門を聴聞し、縁者のいない異国の地で御弘通をされる姿に教えていただくことが多くありました。それは、英語力でも知識でもなく、根底に御弘通への強い「一念」があるからだと確信しました。その一念がなければ、如何(いか)に英語が堪能(たんのう)でも、御法門が上手でも、御法は弘められないということを知りました。その尊い出逢いに感謝するばかりです。

 心温まる交流会は、マッシー氏を囲んで「世界に一つだけの花」という曲を歌いながら幕を閉じました。私は前日までその歌詞すら知りませんでしたが、一人一人の可能性を信じる大切さ、出逢いの尊さを痛感する内容の歌でした。心温まる交流会はこの歌の大合唱でエンディングを迎え、感動の内に幕を閉じました。マッシー氏との出逢いは、斜に構える私たちを真っ正面に向かせてくれるようなこの上なく貴重な出逢いでした。

 有名な「星の王子さま」には、王子さまがとても珍しいと思って大切にしていたバラが、地球では一つの庭に五千も咲いているのを見て、失望している様子が描かれています。しかし、キツネから、王子さまのバラはこの世に一つだけで、どんなにたくさんのバラがあっても、王子さまにとってかけがえのないバラは一つしかない、と教えられるのでした。「大切なものは目に見えないんだよ」と。

 きっと今もご信心に対して斜に構えている人がいると思います。その気持ちも分かります。ただ、「世界で一つだけの花」は、すぐ近くにあるはずで、気づかないか、忘れているだけです。
 きっと世界で一つだけの花は、御題目という純白の蓮華の「花」なのですから。


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