欲望に囚われて、因果を無視し、人間は嘘をつくようになります。欲望は心に闇を作り、人間関係や環境、自然との関係を壊してゆきます。欲は高じて「貪欲(とんよく)」となり、正しい人生の目的や目標、生きる方法を見失わせようといたします。
種蒔きから収穫までのサイクルが極端に短くなっている現代社会では、誰もが至近距離しか見えず、いや見ようともせず、視界は悪くなる一方で、自分の眼が悪いのか、霧が出ているから見えないのか、判別することすら難しくなります。それを御仏は法華経に「衆生の闇」とお諭しになられたのでしょうか。ほんの手前しか見えない不透明さ。実は、相手の顔も、自分の顔も、右を向いているのかも、左を向いているのかも見えていない状況で歩いているのかも知れません。
開導聖人は「煩悩の心の闇には昼なし」「我が心眼は欲の迷いに眩(くら)む。故に一寸先は闇」とお示しです。結局、人間の欲望は貪欲となり、貪欲は煩悩(ぼんのう)となって際限がなく、心の眼を眩まし、真っ暗な闇をもたらすと教えていただきます。
嘘の先には孤独がある、虚勢は苦悩を増大させ、目先だけの損得に溺(おぼ)れればその先に破滅がある、ということも忘れてしまいます。愛されること、信頼されること、成功をすること、合格をすること、健康でいること、助けられること、育てるということ。短いサイクルではなく、正しい方法を見つけ、正しく努力し続けられるように、良い視界を確保したいものです。
ところが、私たちの周りには、欲望を増大させる風潮、購買意欲を急き立てる手法、エゴを強め、嘘や怒りを誘発させる社会の悪習や罠が満ちています。残念ながら、無防備でいれば、いつしか欲望に囚(とら)われ、視界が遮(さえぎ)られ、心が闇に包まれて悪循環に陥(おちい)ります。自分の不幸だけではなく、家族や周囲の人を巻き込む不幸の悪循環が、自分を出発地点にして始まります。
いま、残忍な少年犯罪、子供を巻き込んだ恐ろしい事件が続いております。誌面などで「心の闇」という言葉が飛び交っていますが、単に「理解できない」「恐ろしい」「見えてこない」という意味だけで使われており、誰も「心の闇」の正体を明かそうとも知ろうともしません。欲望が心に闇を作る。子供が社会を映す鏡であるならば、親や教師、教育や司法だけに急場の対処法を迫っても、社会全体、世界中の一人一人が責任の一端を感じて立ち上がらない限り、心の闇は静かに広がってしまうのではないでしょうか。
現代の日本では、飲食欲、睡眠欲、性欲、金銭欲、名誉欲という五欲の全てで異常が起きています。空腹の経験が無いというコンビニ世代の子供たちから、過食拒食に苦しむ摂食障害の大人たち。昼と夜が逆さまになる子供、不眠症に悩む大人。異常な性癖の蔓延(まんえん)から身を滅ぼすような愛欲等。相次ぐお金のトラブル。異常な金銭欲や出世欲、名誉欲から身を滅ぼす人、身心の外見に拘(こだわ)る人、虚言癖から孤独になる人、死を選ぶ人。御仏が説かれた通り、「貪欲」はウイルスや伝染病のように人々の心を冒し、コントロールを失わせて、人生の悪循環を生み出しています。
西欧宗教や新興宗教は「点」を語ります。一方、真実の仏教は「線」を説きます。点で考えますと本質は見えてまいりません。線で結ぶことから見えてくるものがあります。子供たちに広がる「心の闇」は、大人たちの繰り広げる欲望と嘘が生み出しているのかも知れません。
十六号線を走ると「出張ヘルス」「人妻浮気エステ」と大書された看板が立ち並びます。その看板の周りで遊ぶ少年たちが心配になりますが、すぐ近くで警察はシートベルトの取り締まりをしています。まさに点と点で、看板には見向きもせずに公務を執行しています。今や良い社会を作るという「線」が切れているのでは、と感じます。
広告収入が激減したことを理由に、旧郵政省と民放局、代理店が団結して深夜枠に限定されていた消費者金融のCMの規制を解禁しました。大手銀行も同様のサービスを始め、「自己責任」を謳(うた)い文句に数年が経ちました。いま多重債務、自己破産の増加、ヤミ金が社会問題化して、ようやく民放連等は対応をし始めたところです。
一時期「マッチポンプ」という言葉が流行しました。火を付けておいて「火事だ」と言い、騒ぎになってから、ポンプを持ち出して火を消し、一躍ヒーローになるというものです。現代の世相には、あらゆる所でこのマッチポンプが見え隠れしています。
いまや投機的な金融経済の規模は実体経済の100倍を超えます。特に、昨今の低金利政策で巨万の富が余り、投資先を探して溢れている異常な状況です。「見えないお金」は高リスクの投資を続け、世界中で乱開発を誘発しています。現在の不完全な金融制度では虚構と欲望が渦巻き、本来の存在意義を失っているようです。
欲望は権力と共に傲慢(ごうまん)になり、強引な行為やウソを誘発します。広告代理店が介在する米国の戦争。湾岸戦争の際、米国下院で難民の少女ナイーラは、「命懸けで祖国を脱出してきました。イラク兵は、赤ちゃんを取り出し、冷たい床の上に投げ出して殺しています」と証言しました。この放送で世論は一気に戦争容認へと向かいました。しかし、後に彼女が駐米クウェート大使の娘で、念入りに演出された作り話と判明しても、後の祭りでした。原油まみれの水鳥も、虚偽の情報に基づいていたと判明しています。
身近な生活空間から世界まで、欲望と嘘が溢れる世界ですから、子供に悪い影響があるのは当たり前です。驕(おご)った大人たちの教育は、処世術としての「点」と「点」であり、本当に大切なのは「線」を指し示すことではないでしょうか。そして人は「円」を目指さなくてはなりません。
夢を叶えるためには欲は必要であり不可欠です。離そうと思っても離れません。しかし、毒である以上放っておけば厄介(やっかい)で、心に闇を生みだし、心そのものを歪め、イビツにしてしまいます。
朝夕に御宝前に向い、御題目をお唱えすることは、心に解毒剤を打つこと、心を鏡に映して整えることに似ています。歯磨きを怠れば、歯垢は歯石や歯周病になり、硬い歯でも穴を開けてしまいます。御題目口唱は、心のすき間に溜まったウイルスを掃き出します。
人間は弱いものですが、まずは菩薩の誓いをしている大人から、末法の荒波の中で力強く、正しく生きる、菩薩の姿を表しましょう。きっと子供たちに伝わる筈です。
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