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  いま、行動を起こす

2003/07



 自分が動き出さなければ、何も変わりません。自分が変わるから未来が変わり、自分が変えるからどのような運命も変わってゆくと教えて頂きます。本当に有り難い御仏の教えであります。

 御仏は、「原因」と「結果」の法則、「因果の道理」を大前提に宇宙の真理を説き明かされました。その法則は、信者であろうとなかろうと、日本人だけではなく世界中の人々、人間だけでなく動物や植物、地球だけではなくあらゆる星々、天の川銀河だけでなくあらゆる銀河、全宇宙に広がるたった一つの大いなる原則なのです。

 原因があるから結果があります。実にシンプル極まりない真理です。世の中には、方位方角や日を選び吉凶を占う人がいますが、すべて迷信と呼べるもので、禍福吉凶もすべて一人一人、ひとつひとつの過去の因縁、業(行為・動き)によると教えて頂きます。真理とは、不変にして不偏であり、普遍です。その法則こそ「本因本果」を説く本門佛立宗の御法門、真実の仏教が説く因果の道理なのです。

 世界中の思想宗教にも因果律はありますが、儒教や哲学は一生の間だけの因果に限定されています。キリスト教などの西欧の諸宗教は、今の一生と来世までを説く二世教といわれ、過去や過去世の業因が説かれません。御仏の説き明かす真理、まことの原因と結果の法則だけが、過去、現在、未来の三世超益の普遍の真理なのです。

 宇宙に広がる「因果の道理」は、絶対に公平で変えようと思っても変えることができません。人間はその法を自分勝手に解釈し「公平ではない」と思い込む悪癖があります。時には、この因果の道理から逃げようと試み、騙そうと試み疑い、諦め、逆らおうとします。 しかし、そう思う所から苦しみや迷いが生まれて来るのであります。 

 今の自分に満足していようと、不満であろうと、今の環境に満足していようと不満を感じていようと、私たちは因果の道理に従ってつねにいるべき場所におります。
 因果を無視して欲望を満たそうとする。人やモノを憎んで憤る。自分の智慧を過信して因果の道理を侮り、ごまかせると思いこむ。そのように思い、そのように行動しようとするのが人間で、それは幸福になることとは逆の生き方と教えられます。因果の道理を無視すればする程、悪循環を繰り返し答えから遠ざかるのです。

 残念ながら、世界に因果を無視する愚かさと恐ろしさが広がっています。因果を見失っているから嘘もつき、他を顧みることもせず、人を殺すことも悔いなく、破滅を予見することも出来ないのです。相次ぐ戦争も疫病も環境破壊も、殺人事件も人間関係の不協和音も、真実の因果の道理を見失ったことから必然的に生じた「結果」です。

「正直者が馬鹿を見る」「ずるいことをしている方が裕福になれる」「楽をして儲ける」という風潮に流されれば、今の自分の生き方を見失います。これも迷信に近いのです。因果の道理では「あの人が悪い」「あんなことがなかったら」と恨んでも仕方がありません。

 ここまで説いてもまだ半分です。因果の教えは、安易に罪の意識を植え付けたり、他人の境遇を見て使ったり、過去の事を持ち出して人を非難するものではありません。人は必ず病にもなり、老いて死を迎えるものです。あくまでも自分に当てる定規であり、あなたの今を「救う」教えであることを忘れてはならないのです。単なる原因探しでは意味がない、結果だけを追い求めても仕方がないのです。

開導聖人は御教歌に、
「世の中をうらむは愚かかひもなし 苦楽はおのが報ひ也けり」
とお示しです。苦しみも楽しみも、自分の業、自分の罪障、私の貯金、私の借金と感得をして、徹底して「原因」を作る生き方に目覚めることが最善の道であると説かれております。自分のことはさて置き、人を評価したり、批判したり愚癡を言ったり、怒ったり、イライラするのは、やはり無駄なのです。

 持って生まれた果報や罪障は、それぞれの人によって異なります。しかし、どのような境界、境遇であっても、健康でも、病気でも、楽しくても、辛く、苦しくても、「今」の自分が貯金をすることも、貯金を使い果たすことも、借金を減らすことも、借金を増やすことも出来ると感得するのが佛立信者なのです。「原因」に注視して、「功徳」を積もうと心掛けた人は、御利益の諸相に違いはあっても、その積み重ねてゆく功徳が消えることはないのです。

 環境が人を作るわけでもなく、他人が自分の人生を作っているのでもない、と考えることから始めます。人生の多くの悩みは、因果を知ることによって解決します。人間関係、利害関係、力関係など、複雑に絡み合っているからこそ、迷ったり苦しんだりするのですが、結局は正しいことを正しい方法で実行する以外に答えはないのです。それは、家庭の中でも、学校でも、職場でも変わりません。「因」が変われば「縁」が変わり「結果」が変わり「報い」が変わるという大原則です。

 お祖師さまは御妙判に、
「花は開て果となり、月は出でて必ずみち、燈は油をさせば光を増し、草木は雨ふればさかう。人は善根をなせば必ずさかう」
「人に物をほどこせば、我が身のたすけとなる。譬えば、人のために火をともせば、我が前あきらかなるがごとし」

とお諭し下されております。因果の道理に照らして、菩薩行の尊さをお示しで、御仏の教えの真髄が、本門佛立宗の菩薩行に極まることをお諭しです。菩薩の誓い、菩薩の「心」と「行動」こそ、善根を為す最たる姿なのです。

 本門佛立宗では、信者を増やす必要も、寄付を多く集める必要もありません。ただ、迷い苦しむ人のために、因果を説き、業を変え、罪障を消滅するために功徳を積む「行い」「行動」が大切であると説くのです。それが菩薩行です。

 多くの方々が真実の信仰、因果に目覚めて迷いや苦しみから抜け出されました。御題目の御力と、ご本人の「心」と「行動」です。本当に有り難く、尊いことです。だからこそ、さらに私たち一同も功徳を積む生き方に進むべきだと、いまの自分が幸福の種まきの為に心と身体を奮い起こすべきである、と感得するのです。正しい信仰、菩薩の行動は、他の人を救うだけではなく、自分を救い家族を救い周りの人を救うことになるのです「いま、行動を起こす」べきです。


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